飛翔

日々の随想です

Quando ci vediamo?


 北イタリアの小さな町、バッサーノ・デル・グラッパ地方でのできごとである。
バッサーノ・デル・グラッパはアルプスからの澄んだ空気に満ちた人口四万の、小さな町である。イタリアでは珍しい「屋根」のある「木製」の橋が架かっている。アルピーニ橋と呼ばれ、徒歩でしか渡れない。かつて、この橋はイタリア一有名な橋で、十三世紀に作られた木造の橋だった。しかし、第二次世界大戦のとき、爆破され、その後、架け替えられたものだ。山を背にブレンダ川のせせらぎを聞きながらこの橋を渡っていると、明るく賑やかなイタリアとは別の趣を感じる。古都と呼ぶにふさわしい静かな佇まいだ。赤いレンガ屋根の家々の窓にはゼラニウムが咲き誇ってひっそりとした町に彩(いろどり)を添えている。

 ここの名産はグラッパという酒だ。ぶどうの絞りカスを発酵させ蒸留させたアルコール度38度〜60度の酒でブランデーのようなもの。これをグラッパと言う。
グラッパは味だけでなくこれを容れた容器も美しいものが多い、見た目でも楽しいお酒である。手描きや、入れ子になったガラス細工が美しく、飾っておくだけでも楽しい。
味は野趣に富んでいて、口に含むと若々しいブドウの土っぽい香りがする。このちょっと癖のある匂いがたまらない。
 グラッパはストレートで飲むのが基本。おじさんたちがバールでクイッと一杯やっている光景はなんとも格好いい!
エスプレッソにグラッパを入れるというのもよくやる飲み方だ。まずはエスプレッソにザラメ砂糖をいれて飲む。次にザラメが残るくらいのところにグラッパを注ぐ。これを一気にザラメともども飲む。これでエスプレッソは完成すると言われている。
 レモンやカシスのシャーベットにグラッパをかけて食べると、これがまた大人のしゃれたデザートになる。

さて、いよいよグラッパの飲み屋に入ることにした。四十代前後の凄みのあるオーナー兼、バーテンが目に入った。白いシャツの袖を二の腕までたくし上げ、黒いシェフエプロンをきりっと着こなしている。グラッパの瓶がずらりと並んだ棚を背にカウンターに佇んでいる姿は、にやけたイタリア男とはどこか違った雰囲気である。精悍で逞しく大人のかげりのある男だ。
グラッパを何種類か試飲させてくれと頼むと軽いものから順次出してくれるとのこと。
ちびりと飲むと、喉から胃袋にかけて熱く焼けるような感じがする。軽いものでこれだからきっと強いグラッパはどんなものか、想像がつく。強いグラッパをグラスに少量注いでくれた。一口飲むと口から火がでそうに強烈!思わず「ひゃー」と叫んでしまった。バーテンがそんな私をみて、にやりと片頬だけで笑った。
店には昼間だというのに飲み客が多く少々驚く。皆何やら赤い飲み物を飲んでいる。
度の強いグラッパにカウンターパンチを食らった私は、椅子に腰を下ろして、その赤い飲み物の正体を尋ねてみた。
アペリテイーボ、食前酒だと言う。早い話がカンパリだ。
「お前も飲むか?」
と言うので
「よしきた!腰をすえて飲むぞ」と酔いに任せて言ってしまった。
しばらく酔い心地を楽しんでいると、そこにアメリカ人らしき客が入ってきた。
「おいバーテン、おまえ英語話せるか?」
と横柄(おうへい)な態度でバーテンに聞いた。バーテンはイタリア語で
「イタリア語なら少しだけ話せるぞ」
と刺すような目で言った。イタリア語が分からないアメリカ人は(??はてな)という顔をするばかり。私は思わず吹き出し
「座布団一枚!」
とイタリア語で言ってしまった。(本当は「うまい!」と言っただけだったが)バーテンは
「お!お前結構イタリア語、話せるじゃないか」
と叫ぶ。すかさず私は
「あなたと同じぐらい少しね!」
とまぜかえすと、そばにいたイタリア人客がどっと笑った。
定年退職したらイタリアで数年暮らそうと、イタリア語を勉強しているのだというと、気を良くしたバーテンが、カンパリは自分のおごりだと言ってくれた。

同席した地元の人は、自分の皿から名産の白アスパラガスを分けてくれ、カンパリで乾杯しようといいだした。
静かな佇まいのイタリアの古都に、こんな気のいい人たちが住んでいることが嬉しかった。観光客があまりいかない場所なのもいい。ゆっくり心を休めることができるこの町に、住んでみたくなった。
帰り際にバーテンが何やらそっと私の手ににぎらせた。開いてみると彼の電話番号だった!
ここはやっぱりイタリアだ!