飛翔

日々の随想です

『野いばら』

野いばら
梶村 啓二
日本経済新聞出版社

 主人公、縣和彦(あがたかずひこ)は醸造メーカーの社員である。彼はバイオ事業部に配属され、以来企業買収の仕事につく。買収の対象は花の種苗会社。
 花は工業製品である。そこで売買されるのは花という形に変わった知的財産権である。
 妻と別れ、心にぽっかりと穴の開いたような主人公は種苗会社の調査中、偶然手にしたかつての英国人軍人の古びた手記を手に入れる。その手記は静かな英国の田園地帯、コッツウオルズの一軒の家での出会いから得たものだ。
 その手記を主人公が読むところから150年前の幕末の横浜へと一気に読者を物語の中にいざなう。
 生麦事件直後の横浜で幕府の情報調査の命を受けた英国軍人と日本人女性との秘めた想いが、「種」「花」を伏線に花開いていく。
 英国軍人の眼からみた幕末の日本。美しい日本の庭の佇まい。日本女性「ユキ」の所作や言葉は、武家の息女という出自からかもしだされる凛々しいばかりの美しさがきらめく。英国軍人エヴァンズが次第にユキに心をうばわれていく様子がこの物語を花のように咲かせていく。
花のようにと言ったが、この物語は「種」「花」を伏線として様々な比喩にいろどられていて、幾重にも重なるバラの花びらのようだ。その比喩の美しさを引いてみよう:
 英国軍人エバンズは江戸まで愛用のヴァイオリンを携えてきた。

 音楽は花に似ている。音は生まれたとたんに次々と消えていき、とどめることはできない。
 しかし、楽譜という記号に変化することによってその生命は輝きを硬い種子に閉じ込め、長い時間を生き延び、生き延びるだけでなく何者かに運ばれて自由に世界を旅するように。楽譜が音楽の種子だとすれば、種子は花の楽譜であり、流れ着いた旅先でその生命は再び解きほぐされ、美しく蘇るのだ。

 ひと時の間だけ虚空に咲き、漂い、消えていく幻のような美しさ。その流れ去る美しさはとどめようがない。しかし、その美は繰り返し再生可能な生命の永遠性につながっている。それが音楽であり、花であると。一瞬でありながら永遠であるゆえにわたしたちはそれを愛するのであると。

日本原産の清楚な花、野いばら。 それは日本女性の清楚な佇まいにも似ている。この花が幕末の攘夷の嵐の中から欧州にその種子をもたらせたのか?上記の比喩がやがて来る結末を暗示していたことが読了後にわかるしかけとなっている。

 一人の英国人軍人の日本女性への秘めた想いの花は、与えられた本分を全うしようと懸命に生きてきた時の人たちと共に、種子となり運ばれ、現代に花を咲かせた物語であった。
 
 歴史ロマンでありながら、時を超えた愛の形が匂うように美しく、ため息が出るほど読後感が麗しいものとなった。
 ※日経小説大賞受賞作であるが、審査員満場一致の受賞とはうなづける。
読後、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを心行くまで聴いた。読後の余韻がさらに極まったのは言うまでもない。