飛翔

日々の随想です

呼称

 高校生のとき、病弱な母親を看病しながら通学していた友人は三食全部彼女が料理していた。
 制服姿のままカバンをさげて商店街で買い物。
 セーラー服に鞄すがたの幼い少女をつかまえて魚屋の兄ちゃんは「奥さん、めばるが今が旬だよ」とか「奥さん、これ焼き魚にするとうまいよ」と言ったという。「奥さん」は魚屋の兄ちゃんにとっては呼び声になっていて「お客さん」という呼びかけとイコールだったのだ。
 そういう私も魚屋の「兄ちゃん」と書いている。魚屋は私の「兄ちゃん」でもないのに。
 私の次姉は独身。「奥さん」と云う言葉にいつも憤慨している。
 男の売り子に「奥さん」と呼ばれると「私独身なの!奥さんだなんてあなた、私と結婚しようとたくらんでるの?」とにんまりしてみせる。
 大概の人は恐れ入って「すいません」と云って首をすくめる。
 松村由利子さんの短歌にこんなのがあった。

・奥さんと呼ばれたじろぐ吾がいてゼラニウムの鉢買わずに帰る
(『鳥女』本阿弥書店から)

 「奥さん」という確定的な呼称は微妙に心にひっかかる。
 母親になると名前を呼ばれず「○○ちゃんのママ」と呼ばれる。母親同士でもそう呼び合う。男親は決して「○○ちゃんのパパ」などと呼び合ったりしない。
 塾の教師だった頃、教師同士が「先生」と呼び合うのもぞっとしたものだ。
 呼称というのは微妙なものである。

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