飛翔

日々の随想です

地震と『柿の種』

 今日は勉強会に出かけた。はじまるやいなや、ぐらり、ゆらりと、大きな地震が発生。ずいぶん長く揺れた。館内放送があり、岐阜県震源とか。震度5だった。
 東日本大地震が起きてから9か月。東南海、東海地震が起きる確率は87パーセントだと言われている。いつ起きてもおかしくない地震の巣の上にいる。
 地震といえば、物理学者であり、随筆集を多く出している寺田寅彦氏にこんなのがある。

柿の種 (岩波文庫)
寺田 寅彦
岩波書店

 日常の中の不思議を分かりやすく、実にあじわいある文であらわす物理学者で随筆の名手である寺田寅彦の随筆集である。
 「なるべく心のせわしくない、ゆっくりした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて読んでもらいたい」と言う『柿の種』。
 まさに著者の言うとおり、のんびり、ゆっくりと読む楽しみに満ちた随筆集である。
 俳句雑誌『渋柿』に載せたものからの文が多いが、文もさりながら自画のカットが載っているのが、読者には余禄の栄である。
 味わい深い随筆が続く中、大地震の混乱を予言するような文がある。
 「石油ランプ」という随筆の中から、
 [われわれは平生あまりに現在の脆弱な文明的設備に信頼しすぎているような気がする。たまに地震のために水道が止まったり、暴風のために電気や瓦斯(がす)の供給が絶たれて狼狽することはあっても、しばらくするれば忘れてしまう。もっと甚だしい長続きのする断水や停電の可能性はいつでも目前にあることは考えない。](「石油ランプ」から)
 「東京市民がみんな石油ランプを要求するやうな時期が、いつかは又めぐって来さうに思はれて仕方がない」
(「渋柿」から)
 と書いた寺田寅彦。何とこの予言は的中した。九月の一日の朝、加筆をほどこした「石油ランプ」の原稿を雑誌社に送るつもりで外出し、途中で関東大震災に遭遇した。
 また寺田寅彦は別の章で地震についてこんなことを書いている。
「日本ではとても考えられないような大仕掛けの大地震が起こるともある。
 1920年のシナ甘粛省地震には十万人の死者を生じた。(略)現在までのところで安全のように思われている他の国では、存外三千年に一度か、五千年に一度か、想像もできないような大地震が一度に襲って来て、一国が全滅するような事が起こりはしないか。これを過去の実例に徴するためには、人間の歴史はあまりにも短い。その三千年目か、五千年目は明日にも来るかもしれない。(大正十三年五月、渋柿から)

地震の文についてだけ抽出したが、このほかに、もちろん味わい深い随筆がたくさん載っている。
 著者自身が自序で述べているように寺田寅彦の随筆は、せわしくないときに、のんびり味わうのがよかろう。