飛翔

日々の随想です

四葉のクローバー


 今日は愛犬クッキーの三回忌。愛らしい在りし日の写真を見ると胸がつぶれるほどさびしく、愛しくなる。
 今頃天国の野原で仲間たちと走り回っていることだろう。

三年前の哀悼の一文を載せる。

 わが家の長男坊は十一歳十一ヶ月。
 親ばかと言われようが何しようが、可愛くてしかたがない。
 体は小さいが、足が速く敏捷。まあるく黒目ガチの瞳がクリクリとして、いたずら小僧である。キャッチボールとかくれんぼが大好きな、きかん坊である。
 そんな子が二年前のある日、突然歩き方がおかしくなった。廊下を歩いていて突然倒れ、起き上がれなくなってしまった。
 びっくりして医者に飛んでいった。すると脳に腫瘍が出来ているといわれた。手術は無理とのこと。このまま様子をみるしかない。
 しかし神様は見捨てなかった。よろよろとしながらも少しだけ歩ける余地を残してくださった。夫と親子喧嘩するときは本気になって向かっていく元気もあった。しかし、症状はだんだん悪くなり、寝たきり状態が多くなった。
 外で遊ぶことが大好きな彼のために、毎日近くの公園まで車で出かけ、原っぱで歩く練習をするのが日課となった。
 野原に立たせると、二歩、三歩と歩く。歩いては転び、転んでは歩きを繰り返す。
 その公園には子供たちがたくさん遊んでいて、ころぶ姿を見られるのが不憫に思っていると、小学三年生ぐらいの女の子が近づいてきた。息子が転ぶたびに「がんばれ!がんばれ!」と応援してくれるようになった。
 あたりにはクローバーが群生していて、中には四葉のクローバーがあるようだった。女の子は「わたし、四葉のクローバーを見つける名人なのよ」と言い、あっというまに一つ見つけて「はい」と手渡してくれた。女の子は「あのね、四葉のクローバーはね、人が踏みつけるところによく咲くのよ」と教えてくれた。
 (そうか。幸せって奴も案外そうかもしれない)と私は思った。「雨の日もあれば、晴れの日もあるさ!今苦しくても、いつか幸せの四葉のクローバーになると思えばいいのよ」と転んでばかりの息子に言って聞かせた。
 そんな小康状態の日々が過ぎた去年の十一月二十四日の朝。彼は突然意識がなくなった。虫の息の彼を病院へ連れて行くと人工呼吸器がつけられた。医者に人工呼吸器をはずすともう駄目ですと言われた。このまま病院でいつまでもたくさんの管に繋がれて人工呼吸をしてつらい思いをさせたくないと、夫と私は彼を家に連れて帰ることにした。
 車の中で私が「分かる?ママよ!」と叫ぶと、一瞬大きく眼をあけて私を見て、深い息を一つした。それが最期だった。

 今は亡きわが最愛の一人息子の名前は「クッキー」。 
 英国ヨークシャー地方からやってきたヨークシャテリア犬である。
 体長三十センチにも満たず、体重はわずか二キロあるかなきかの極小犬である。体を覆う美しい毛はスティールブルーと呼ばれて銀色に輝き、大きく丸い眼は聡明そうな愛くるしさを帯びて誰をもひきつけてやまない魅力に富んでいる。
 十一歳十一ヶ月。十二歳の誕生日を目前にした死だった。
 七年前、私がくも膜下出血で救急車に運ばれたとき「僕のママに触るな」とばかりに担架に運ぼうとする救急隊員四人の手をかんだ可愛い子でもあった。その入院中の一ヶ月、救急車を送り出した玄関の前でずっと私の帰りを待ち続けたクッキー。
 亡骸(なきがら)は遊びまわった我が家の庭のケヤキの根元に埋葬した。女の子にもらった四葉のクローバーも入れた。ケヤキはわが家の父祖(ふそ)のように雄雄(おお)しくそびえ、わが家全体を見守っている。きっとクッキーのことも守ってくれるに違いない。
  あの輝ける愛しい日々はもうもどらない。
 愛しくて悲しくて、さびしくてたまらない。