飛翔

日々の随想です

悪童日記

今日は久しぶりにガーデニングをした。春の花パンジーヴィオラの苗の寄せ植えをプランターやコンテナに植えこんだ。花の世話をしていると時間がたつのも、寒いのも忘れて夢中になる。

 午後から読書。『悪童日記』を読了。
 

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)
アゴタ クリストフ
早川書房

 ハンガリー生まれのの亡命女性作家の処女作であるが、長く読み継がれる名作だ。 
 主人公は双子の男の子。戦争が激化する中、「ぼくら」は<大きな町>から母親に連れられて祖母の家に疎開しにやってきた。
 母が双子を祖母の家において去った後から、「ぼくら」の過酷な日々がはじまる。
 「ぼくら」は日々を克明に日記(作文)に記す。本書は「ぼくら」の日記を読むという独特の構成をともなった小説である。
  日記の体裁をとっているが、きわめて抑制された文体が特徴である。それは「ぼくら」がこの日記(作文)に記述のルールを設けているからだ。その箇所を引用抜粋してみよう:
 (作文)が「良」か「不可」かを判定する基準として、ぼくらには、きわめて単純なルールがある。作文の内容は真実でなければならない、というルールだ。ぼくらが記述するのは、あるがままの事物、ぼくらが見たこと、ぼくらが聞いたこと、ぼくらが実行したこと、でなければならない。
 たとえば、「おばあちゃんは魔女に似ている」と書くことは禁じられている。しかし、「おばあちゃんは、『魔女』と呼ばれている」と書くことは許されている。
 「<小さな町>は美しい」と書くことは禁じられている。なぜなら、<小さな町>は、ぼくらの眼に美しく映り、それでいて他の誰かの眼には醜く映るかもしれないから。

と言わせているようにきわめて冷静に客観的に意識的に書かれた体裁を持っている。しかし、その内容は極限状態の人間の生々しい行動や言動、性行為、死、安楽死、殺人、貧困、強制収容、戦争、など重いテーマに満ちている。ヨーロッパにおける戦争のさなか、人間が抱えるシリアスな問題を双子の兄弟の眼からみた体験として小説化している。
 この小説が読みながらかなりのスピードを持って読み進めてしまえるのは、日記形式になっているため、短く区切られているからだ。
 そしてルールを決めたように、あらゆる感傷が削除され簡潔で客観性にとんでいる。重いテーマなのにからっとして、すがすがしくさえあるのはその文体にある。これだけ簡潔で客観性に富んでいるのに心を揺りうごかされるのは、「ぼくら」がどんな厳しい状況でも、自分たちの眼で見、頭で考え、自分たちで行動するからだ。「そんなことにも絶対に忘れない」「絶対に泣かない」「絶対にお祈りをしない」として自らを鍛えていくことにある。
 しかし、「ぼくら」は感情のないロボットではない。心ある人には心を開き親しんでいく様子がこの小説をからっと爽快にしている。
 人間にひそむ真実の姿を「ぼくら」の眼を通して淡々と描き切った筆力に驚嘆。これが処女作だとは驚きである。
 これに続く『ふたりの証拠』『第三の嘘』をぜひ読んでみたい。

※著者のアゴタ クリストフは2011年の7月にお亡くなりになった。残念である。もっと多くの作品を読みたかった。