飛翔

日々の随想です

『父のこと 母のこと』

父のこと 母のこと

父のこと 母のこと

  • 発売日: 2004/03/19
  • メディア: 単行本
父や母を思うとき、そこには家族の歴史があり、生活があり、時代が映し出される。子の視点からとらえた父や母の姿を描いたものが本書である。
 日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した歴代の作品の中から「父と母」について書かれた27作品を精選。
 執筆人は森 茉莉(父・森鴎外)、萩原葉子(父・萩原朔太郎)、芥川比呂志(父・芥川龍之介)、中野利子(父・中野好夫)、坂東三津五郎高峰秀子渡辺美佐子、柳沢佳子、庄野英二沢村貞子、志村ふくみ、岸田今日子、ほか。

 巻頭を飾るのは森 茉莉である。鷗外の作品からはうかがい知れない人間味あふれる姿が浮かび上がり、父と娘の甘やかな日々が詩をよむように美しい。
 娘にとって父は永遠の恋人であり、父にとってもしかり。美しくも甘やかな、この香気に満ちた文体はどこから来るのだろうか?著者は「父と私」の章でこう綴っている。

父と私とはただ遊んだり、御伽噺をしたり、犬ころのように親しんでいただけだったが、今になって想い浮かべてみると、そういう父の様子の中には何かが、たっぷり含まれていて、それは吸っても吸ってもあとから湧いてくる母乳のようなものであった。何か、というのは、父が黙っていて私に教えてくれていたように思われた「何か」である。
「何か」とは鴎外の娘への尽きせぬ愛であり、それは茉莉の文体から華となって咲いたのであった。

次に文豪と言えば、芥川龍之介である。
息子から見た、父、龍之介との思い出は幼稚園時代にさかのぼる。幼稚園のクリスマス会に羊役として出演していた比呂志は、硝子戸の向こうに、父龍之介の姿をみつけ驚く。
 妙にはっきり印象に残っているのは、場所や状況が例外的だったからである。たいていは女の人ばかりがいるガラス戸の向こうの廊下に父がいようとは到底ありえないことだったからだ。
 龍之介も人の子の親だ。当たり前のことだが、幼い息子の様子をみようと幼稚園にやってきた龍之介の親心が垣間見れてほほえましい。
 次に息子が父の心を知るのは死後である。父の声を聴き、父の心を読むのは、作品の中というのが心を打つ。
  「今でも私は、思いがけない父の心を読むことがある。ことにそれは晩年の作品に多い。父はいたのである。見えないのは此方(こちら)の故だけだ」
  柳沢佳子さんの父の思い出は輝くような、真っ白な紙だ。
「戦後の食糧難の時代、父は問屋からたくさんの紙を買い込み、どんどん使いなさい、計算は新しいきれいな紙を使うものだと言った。ものが何もないときに、ぜいたくな真っ白い紙をふんだんにあたえられたということは、父がこの世の中で何が大切だと思っているかということを感じ取らせた」 
 と、ある。
母を書いた作品にも心を揺り動かされるものが多かった。
 沢村貞子さんの作品には、「母の丸髷」がある。
 「小さい頃、縁側で髪を結ってもらっている母を見るのが好きだった」という一文からはじまる母の髪の話。男前の歌舞伎役者だった父に嫁いだ母は働き者だったが、色が浅黒く骨太であまり美人ではなかった。
 夫の浮気は半ば公認の時代である。
 二枚目の父には不釣合いな不器量な女、と思い込んでいた母のたった一つの誇りは、真っ黒な長い髪だった。その丸髷を髪結いさんが自宅に結いにくる様子を下町言葉で小気味よく語られる。
 その美しく結いあがった見事な丸髷を次の日突然母は、もろ肌脱いで、台所の流しにかがみこんで髪を洗う。九歳の作者は不思議におもい母に尋ねる。
 「どうしてこわしちゃったの、結ったばかりなのに・・・」
 母はやっとふりむいて
 「丸髷はね・・もうやめたんだよ」
 なぜとしつこく聞くと、母は顔をそむけながら、低い声でまるで独り言のようにつぶやいた。
 「・・・もう、おつとめはすんだからさ」

 髪の毛を丸髷に結い上げる様子をいまや知る人はいない。浅草の下町言葉も聴くことが出来ない。それらの時代を背景に丸髷を結う母の矜持とそれをふっつりとやめてしまう母の「女ごころ」の哀しさ。
 父と母の中に見る男と女。髪の毛だけを題材に母の女としての誇りと哀しさを娘の目が描いた見事さに舌を巻いた。
児童文学作家の庄野英二さんは中国の戦場で重傷を負い、内地の病院へ帰ってきた日。見舞いの母が
 「ごめんよ、かんにんしてよ、痛かったでしょ」
 涙声で母の郷里の徳島なまりのアクセントで言いながらかけよった。
 戦場で死にかけた息子を守ってやれなかったのは自分の責任のように感じた母の言葉である。
 母のあふれるような愛情がこんな言葉になったのだと胸を衝かれる。

 文豪と呼ばれる人も、市井の人も、親の気持ちの底に流れるものは限りない愛である。子供はたとえどんなに幼くとも、そんな親の姿や言葉をとらえて記憶の奥底にしっかりと持っているのだ。
 本書に流れる随筆にはそれぞれの時代の匂いがあり、家族の歴史があり、生活が書き込まれている。
 時代は変わっても、親が子を思う気持ちは変わらない。愛の形はそれぞれ違っても、「母」や「父」について語る文は続くに違いない。