飛翔

日々の随想です

父の帽子

父の帽子 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)
森 茉莉
講談社

 森鷗外は二十七歳で結婚。長男於菟を得た後、離婚。十一年後に鷗外が「美術品の如き」と評した美女、志けと再婚。

本書は長女茉莉が父鷗外との日常を中心に自らの半生を綴った回想記であり、日本エッセイストクラブ賞受賞作品である。
本書からは鷗外の作品からはうかがい知れない人間味あふれる姿が浮かび上がり、父と娘の甘やかな日々が詩をよむように美しい。

「机に向かってなにか書いている父の背中に飛びつき、「まて、まて」と言って父が葉巻を置いたり、筆を置いたりしてから膝をこっちへ向けると、直ぐに膝に乗り、膝の上で少し飛ぶようにした。父は微笑して、「フン、フン」と肯くようにしながら、私の背中を軽く叩くのだった。葉巻の匂いの浸み込んだ父の胸から、温かい愛情が、私の小さな胸へ通ってくる。「よし、よし、おまりは上等よ」と父は言った。」

ドイツからはるばる娘のために服を取り寄せたり、そのほか様々に鷗外が娘に愛を注ぐ様子が綴られ、著者独特の華麗な文体が流れていく。

「サアベルを吊る紐は黒い皮で、裏には緋羅紗がついている。私は軍服を着た父が好きだった。顎の角がかった、陽に焼けた父の顔には鋭い眼が光り、汚れのないうねった唇には、ハヴァナの香気が漂っているように見えた。あぐらをかいて座ると、胸の釦と釦との間がたるんだように口を開いていて、その軍服の胸の中に、小さな胸一杯の、私の恋と信頼とが、かけられているのだった。「パッパ」。それは私の心の全部だった。父の胸の中にも、私の恋しがる小さな心が、いつでも、温かく包まれて入っていた。私の幼い恋と母の心との入っている、懐かしい軍服の胸で、あった。」

娘にとって父は永遠の恋人であり、父にとってもしかり。美しくも甘やかな、この香気に満ちた文体はどこから来るのだろうか?
著者は「父と私」の章でこう綴っている。

「父と私とはただ遊んだり、御伽噺をしたり、犬ころのように親しんでいただけだったが、今になって想い浮かべてみると、そういう父の様子の中には何かが、たっぷり含まれていて、それは吸っても吸ってもあとから湧いてくる母乳のようなものであった。何か、というのは、父が黙っていて私に教えてくれていたように思われた「何か」である」

こうした父と娘の蜜月のような時代は著者の結婚で終わる。ここからは著者が二度の離婚や鷗外が書いた「半日」という小説で世間には悪妻の名がとどろいてしまった母のことなどが率直にかかれており、於菟と祖母、母との相克が翳をさすように記されている。

著者が父鷗外の作品「高瀬舟」「半日」について私見を述べる章「半日」は興味深い。
著者が幼児のとき、大病を患い死の寸前まで行ったとき、苦痛をなくすため「安楽死」を考えた父と母。それは寸前で阻止された。そのときの「安楽死」事件が「半日」の中の登場人物にも反映されており、後にそれが「高瀬舟」を鷗外に書かせたと著者は記す。

ここで著者は「半日」のモデルの母が世間ではヒステリックな女と流布され、「親類」が母を非難する免罪符を与えたことに不服をとなえる。「ヒステリックな妻はいくらでもあり、夫が姑の肩をもつことなどは何処にでもある。しかし、その夫が文学者であった。特に鷗外であった。これが私の母の不幸である。」と哀しくも訴える。
「パッパ」を愛する娘であるけれど、母を愛する娘でもある。

吸っても吸ってもあとから湧いてくる母乳のようなものであった鷗外から受けた「何か」。
それはこうして茉莉の文体から華となって咲いたのであった。