飛翔

日々の随想です

父のこと母のこと


父のこと 母のこと
リエーター情報なし
岩波書店
父や母を思うとき、そこには家族の歴史があり、生活があり、時代が映し出される。子の視点からとらえた父や母の姿を描いたものが本書である。
 日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した歴代の作品の中から「父と母」について書かれた27作品を精選。
 執筆人は森 茉莉(父・森鴎外)、萩原葉子(父・萩原朔太郎)、芥川比呂志(父・芥川龍之介)、中野利子(父・中野好夫)、坂東三津五郎高峰秀子渡辺美佐子、柳沢佳子、庄野英二沢村貞子、志村ふくみ、岸田今日子、ほか。
巻頭を飾るのは森 茉莉である。鷗外の作品からはうかがい知れない人間味あふれる姿が浮かび上がり、父と娘の日々が詩をよむように美しい。
 娘にとって父は永遠の恋人であり、父にとってもしかり。著者は「父と私」の章でこう綴っている。

 父と私とはただ遊んだり、御伽噺(おとぎばなし)をしたり、犬ころのように親しんでいただけだったが、今になって想い浮かべ、吸ってもあとから湧いてくる母乳のようなものであった。何か、というのは、父が黙っていて私に教えてくれていたように思われた「何か」である。 「何か」とは鴎外の尽きせぬ愛である。

次に文豪と言えば、芥川龍之介である。
息子から見た、父、龍之介との思い出は幼稚園時代にさかのぼる。幼稚園のクリスマス会に出演していた比呂志は、ガラス戸の向こうに、父龍之介の姿をみつけ驚く。
 妙にはっきり印象に残っているのは、場所や状況が例外的だったからである。たいていは女の人ばかりがいるガラス戸の向こうの廊下に父がいようとは到底ありえないことだったからだ。
 龍之介も人の子の親だ。当たり前のことだが、幼い息子の様子をみようと幼稚園にやってきた龍之介の親心がほほえましい。
 次に息子が父の心を知るのは死後である。父の声を聴き、父の心を読むのは、作品の中というのが心を打つ。
  「今でも私は、思いがけない父の心を読むことがある。ことにそれは晩年の作品に多い。父はいたのである。見えないのは此方(こちら)の故だけだ」

  柳沢佳子さんの父の思い出は輝くような、真っ白な紙だ。
 「戦後の食糧難の時代、父は問屋からたくさんの紙を買い込み、どんどん使いなさい、計算は新しいきれいな紙を使うものだと言った。ものが何もないときに、ぜいたくな真っ白い紙をふんだんにあたえられたということは、父がこの世の中で何が大切だと思っているかということを感じ取らせた」
 と、ある。

母を書いた作品にも心を揺り動かされるものが多かった。
児童文学作家の庄野英二さんは中国の戦場で重傷を負い、内地の病院へ帰ってきた日。見舞いの母が、
 「ごめんよ、かんにんしてよ、痛かったでしょ」
 涙声で母の郷里の徳島なまりのアクセントで言いながらかけよった。
 戦場で死にかけた息子を守ってやれなかったのは自分の責任のように感じた母の言葉である。母のあふれるような愛情がこんな言葉になったのだと胸を衝かれる。

 文豪と呼ばれる人も、市井の人も、親の気持ちの底に流れるものは限りない愛である。子供はたとえ、どんなに幼くとも、そんな親の姿や言葉をとらえて記憶の奥底にしっかりと持っているのだ。
 本書に流れる随筆にはそれぞれの時代の匂いがあり、家族の歴史があり、生活が書き込まれている。
 時代は変わっても、親が子を思う気持ちは変わらない。愛の形はそれぞれ違っても、「母」や「父」について語る文には情愛があふれている。