飛翔

日々の随想です

千すじの黒髪

田辺聖子さん渾身の作品。

『千すじの黒髪』田辺 聖子著 文芸春秋 (1987)(わが愛の与謝野晶子)書評

ゆるしたまへ二人を恋ふと君泣くや聖母にあらぬおのれの前に
わが外(ほか)に君が忘れぬ人の名の一つならずばなぐさましを
バチに似しもの胸に来てかきたたきかきみだすこそくるしかりけり

与謝野晶子には嫉妬に胸かきむしられる歌が多いことに驚かされる。
一つ一つの歌を単独に味わい読み解くことは晶子の歌に限らず他のあまたの歌人にも言えることである。さりながらこと与謝野晶子という情熱の天才歌人の歌に触れるとき、その生涯、特に「明星派」の雄、浪漫思潮の先駆者でもある夫与謝野鉄幹、山川登美子らとの濃密な交流に想いを馳せないではいられない。
本書は与謝野晶子の評伝の形をとりながらも著者田辺聖子の渾身の極みをみるような文芸作品となっている。
読むほどにまるでドラマを見るような、映像をみているような錯覚にとらわれる。
晶子が生家の菓子屋の帳場で大福帳をつけている場面、鉄幹と初めて出逢う場面、鉄幹をめぐる先妻瀧野への終生の嫉妬、山川登美子との葛藤など。その都度詠んだ歌に血肉が通い歌が立体となって読者の心になだれ込んでくる。作者が晶子なのか、読者が晶子なのか分からなくなりそうなくらい作品に引きずり込まされる。

鉄幹という人物の生い立ちやその特異な性癖、猛々しさと幼児性、絶品とも言える歌の数々。凡庸でない天才鉄幹を晶子がいかに愛し、絶望し、胸かきむしるほど嫉妬せしめ、あまたの秀歌をつくらしめたか。人間与謝野晶子は年を経る毎に「みだれ髪」のころよりさらにしらべ美しく、深みのあるつややかな歌へと移行し、人生の重みをまし女心が深くなっていく様を著者は情愛こめて本書で書ききった。

この小説がかくも感動するものとなったのは「あとがき」で著者自身が語っているところにある。それは:
「この作品はいわば、寛(与謝野鉄幹)・晶子に宛てた私のラブレターである。二人の天才歌人に捧げるわが讃め歌である」とある。

晶子や鉄幹の歌を愛し、長きに渡って作者自身の魂の住人となっていた二人への愛が書かせた作品と言ってよいだろう。傍題に「わが愛の与謝野晶子」とあるはその所以(ゆえん)でもある。