「世界のディーバ(歌姫)」のシリーズをテレビで見た。
マリア・カラス、ビリー・ホリデー、ジャニス・ジョプリン、エディット・ピアフだった。
この四人に共通するのは「愛」を求めても求めても、愛が成就できなかったことだ。エディット・ピアフもビリー・ホリデーも娼婦の子どもと云う生い立ち。愛しても愛しても報われなかった歌姫たちはジャンルは違ってもその歌にこめられた思いのたけは時代が変わろうとも人の心に残るのだった。
人は嬉しいにつけ、悲しいにつけふと唇に歌がでる。
人は人によって傷つけられたり、慰められたり、愛したり、愛されたりする。歌は人を傷つけない。人の心を慰め潤し力づけるだけなのである。
薄幸な歌姫たちだったけれど、彼女らの歌に時代を超えて我々は慰められ力づけられてきた。そして歌姫たちも薄幸のなかで自らの歌に支えられ生きる力を得てきたのだった。
太古の人たちも、言葉ともいえない言葉で歌を歌い、木の枝や動物の骨や皮で楽器を作り奏でてきた。
人の心に歌があり、歌とともに人生がある。
音楽の原点とはそうした人間の営みの中から生まれてくるものであり、慰めであり、喜びであり力となるものなのだ。
マリア・カラス、ビリー・ホリデー、ジャニス・ジョプリン、そしてエディット・ピアフ。
人を愛し愛されることがこんなにも困難で、傷つきながら生涯を終えなければならない人生があるなんて・・と言葉もない。
しかし、歌姫たちも薄幸のなかで自らの歌に支えられ生きる力を得てきたことを考えると歌の力の偉大さにひれ伏すおもいになる。