飛翔

日々の随想です

外国語表記の短歌

俳句や短歌は外国でも習作されている。一方、日本では外国語表記や英語の入った短歌というのがある。
英語表記の入った短歌といえば、
 松村由利子の第二歌集『鳥女』に
・美しき想に遊ばず朝あさの電車に思うTo Do List(今日すべきこと) がある。


佐伯裕子の『春の旋律』(ながらみ書房 発行年月 1985.7)の中にこんな歌が:
・数分の痛苦ののちは鮮しき未明death by hanging 済む


 そして萩原裕幸『青年霊歌』(玲瓏叢書)アドレッセンス・スピリッツ (書肆季節社 発行年月 :1988.5)の中から
・Adolescenceと囁けばみな許されし時過ぎてけふ雪模様なり
 というのがある。


佐伯裕子の歌は英語表記でなければならないという必然性すら感じる。
なぜならdeath by hangingは日本語に訳すとショッキングすぎるからだ。


 短歌が持つ懐の広さ奥行きを感じるが、同時に短歌の世界は変わろうとしているのだろうかと思う。

向田邦子はもう使われなくなった言葉の中にも美しい言葉があるとして、積極的に使っている。
「持ち重りがする」という言葉など。
またトイレと言わず「ごふじょう」と言うように。


 言葉は時代とともに変わるもののようだが、美しい日本語というものは失いたくないものだ。
外来語が浸透し、もはや外来語でなく日本語であるかのように 錯覚することばもある。
敬語の使い方も混乱してきちんと話す人が少なくなってきた。