飛翔

日々の随想です

漢字と仮名の美学

旧仮名遣い(歴史的仮名遣い)は外来語を含む言葉や若者が使う言葉や文体には似つかわしくないと先入観を持っていた。

 しかし、松原未知子さんの歌(松原未知子歌集『戀人(ラバー)のあばら』1997年・(砂子屋書房刊))

はフランス語を含む外来語を駆使しているにもかかわらず、歌集は全て正字体、歴史的仮名遣いとなっている。

漢字、とくに正字体は視覚的に劇的効果をあげていることを発見。

それに添うように歴史的仮名遣いが主と従のようにしっくりと寄り添い一幅の絵画の趣を呈しているのである。

さう、ずっと弧獨でしたと書簡には切手のごとき肖像畫添ふ

アブサンを呷る(あふ)りてみたし永遠の汝(な)が不在(アブサンス)かなしみながら
(松原未知子歌集『戀人(ラバー)のあばら』1997年・(砂子屋書房刊)より)

「弧獨」は「孤独」よりも「こどく」な感じが濃い。

そして「切手のごとき肖像畫」の表現の見事さにうなってしまう。

「弧獨」と「切手のごとき肖像畫」が響きあい、
小さなセピア色の「肖像畫」が思い浮かぶ。それはまさに「弧獨」なものの象徴。

「書簡」からは、それまで語られなかった来し方がにじむようにみえてくる。

二首目は「アブサン」と(アブサンス)の掛けことばとなっていて、「呷る(あふ)」と共に韻を踏んでいる。

アブサンを「呑む」のでなく呷(あふ)ると表現したのは、
「永遠の汝(な)が不在(アブサンス)」の哀しみと喪失感を喉に流し込んで、
その喉と五臓六腑に焼け付くような痛みを受けようという悲愴なまでの哀感が「呷(あふ)る」にこめられていて胸を打つ。

 正字体と歴史的仮名遣い(旧仮名遣い)が歌全体に与える劇的効果は日本語がもつ「漢字とかな」の美学にも通じる。

 こんな風に読み解きとは別な角度で短歌を自分にひきつけて考えるというのも面白いことである。