飛翔

日々の随想です

深代惇郎の天声人語〈続〉 (1977年)

 凝縮した言葉を紡ぐことは難しい。短歌や俳句などの短詩形でなく散文としての短い文のことである。
 今でこそ中国のお抱え新聞になった感が強い朝日新聞ではあるが、かつては名物コラム「天声人語」があった。博覧強記の人、深代惇朗によってその名を高からしめた。彼は優れたエッセイストであったが、それ以前に第一級のジャーナリストであった。
今日はその深代惇朗の『続 天声人語』(朝日新聞社)を古本屋で見つけたので嬉しくなった。

深代惇郎天声人語〈続〉 (1977年)
深代 惇郎
朝日新聞社

このアイテムの詳細を見る

 「方言復権」から引用抜粋:

 日本中、だれもかれもが標準語だけしか話せなくなってしまったら、ずいぶん味気ない世の中だろうと思う。青森生まれの板画家棟方志昴氏が『私の履歴書』(日本経済新聞)に、母親の臨終を書いている。母につらく当たることの多かった父が、その死に想像できぬほど取り乱したという。
 泣きながら、母の棺に石でクギを打ちつづけた。「ガバ(お前を)ヘンカすのも(打つのも)・・・・コイで、最後ダ」といいつづけた父の姿を、覚えているそうだ。平べったい、無個性な標準語にくらべ、この方言がどれだけ悲しみの強さを伝えていることだろうか。

 と「方言復権」への味わいのある引用抜粋をしている。
 
 自分の考えの披瀝でなく、古今東西の書物や歴史文献などのあふれるほどの知識の引き出しと共に、人間性の暖かさがその根幹をなしているから人の心を打つのだろう。その人柄と文章を「あとがき」で深田祐介がこう書いている:
この本の社会の項目に「重い言葉」というエッセイが納められている。そのなかでは、徳島の高校を出て大阪のデパートの食堂で働いている少女のことが紹介されていて、辛いのは客に品の出し方がおそい、まずいといわれるとき、うれしいのは席を立つお客さんがおいしかった、ありがとうといってくれるとき、といって少女は涙を流す。「ふるさとを遠く離れた厳しさの中で、彼女はそんなに重い言葉を見つけ出した。繁栄の中で、われわれは軽い言葉をもてあそび過ぎたのではないか」そう深代惇朗は結ぶ。どんな時代がこようと、これは「重い言葉」の詰まった、日本人にとって重い手ごたえを与え続けてくれる本である。
この本を紹介するのにこの言葉をうわまわる言葉を私は知らない。