飛翔

日々の随想です

読書感想文のあり方

 
テレビでパソコンのコピー&ペーストについてが話題となったことがあった。
小中学生向けに開設された「コピペで書ける読書感想文」のサイトがアクセス数を伸ばして感謝されているという。
サイトの主が感謝されて喜んでいる様子が映し出された。
本を一冊も読まずにこうしたサイトにアクセスしてコピー&ぺースト。
それを印刷して提出するという。
サイトの主は読書感想文を書く時間をほかにまわして欲しいという。
ただでさえ活字離れといわれている昨今、古今東西の良書を夏休み中に読む機会を自ら捨てていることになる。
安易に安易に流れる子どもたち。
嫌々にせよ一冊を読破することからいろいろなことが生まれてくる。
嫌々読んでいたのに読んでいるうちにいつのまにか引き込まれたとか、本って面白いんだねとか、退屈だとか、いろいろな感想が生まれる。
読まなければ何の感想も生まれないし、読むという体験もできないで過ぎてしまう。
そしてさらに人のものを右から左に写していけばすむという「安易さ」をコピー&ペースト(貼り付け)から学ぶことになる。
読書は読みながら自分の中で想像力や思考を呼び起こし感動というものを味わわせてくれる。
「図書館の神様」(瀬尾まいこ著)の中の主人公、垣内君が読書についてこういっている:
「文学を通せば、何年も前に生きてきた人と同じものを見れるんだ。見ず知らずの女の人に恋することだって。自分の中のものを切り出してくることだってできる。とにかくそこにいながらにして、たいていのことができてしまう。のび太はタイムマシーンに乗って時代を超えて、どこでもドアで世界を回る。マゼランは船で、ライト兄弟は飛行機で新しい世界に飛んでいく。僕は本を開いてそれをする」

そうなんだ。垣内君の言うとおり。まさにその通り。
どこにいたって本を開けばそこは宇宙だって見わたせるのだ。
そんな魅力も知らずに安易にパソコンのサイトにアクセスして人のものをコピーして提出する。
そして感謝するなんて!!
サイトの主は何十万アクセスという数字に喜んで得意そうになって「読書感想文を書く時間を他のことにつかってもらえれば嬉しいです」と述べている。
脳は考えたり困難なことを克服しようと思考するたびに活発になり脳自体は喜んでいるという。
文を理解(読解)しそれをまとめて自分の言葉にする作業は人間にしかできないことであり高度な脳の動きである。

夏休みの40日間を一冊の本も読まずに過ごしてしまい、借り物の言葉をそっくり提出する夏が毎年毎年繰りかえされるとしたら一体日本の若者はどんな風になってしまうのだろう?
安易さを助長する風潮と夏休みの過ごし方についてあらためて考えなおしてみたいものだ。
とここまで考えてあれ?と思い直した。
そういう私も読書感想文は大嫌いだった。
しかし、読書は好きだった。
大切なことは、読書がどれだけ楽しいものかを教えることなのである。
日ごろからクラスで少しづつ本を読みみんなで感想を言い合うというのはどうだろうか。
感想文を提出させる弊害が安易なコピペへと走らせるのでは本末転倒である。
読書の魅力、楽しさを子どもたちに教えることに腐心すべきなのである。
それにはやはり付け焼刃は駄目。
幼児からの読み聞かせが肝心。
親も本を読む背中を見せなければならないのである。