飛翔

日々の随想です

『小さいおうち』

作家やノンフィクションライターは膨大な資料を集めるだけでも大変な日数と労力がいる。そして集めた資料の読み込みだけに数年かかる。評伝の場合はそれだけに及ばず、それに関係した書籍や手紙、歴史的背景まで調べなければならない。気の遠くなる作業の末の作品となる。
 黒岩比佐子さんの作品を何冊かここ数週間かけて読んできた。それに関係する書籍も同時進行で読んで来た。その渾身には、ただただこうべを垂れる思いになる。
 黒岩作品は別の機会に感想を書くとして今日は今回直木賞を受賞した中島京子の『小さいおうち』(文藝春秋)を読んだ。いつもは芥川賞直木賞の作品を受賞後にすぐ読むことはしないが、今回は中島京子の作品制作に関わるインタビュー番組を見てがぜん読む気が起きて一日かけて読了。はたしてその期待は見事に当たっていた。

小さいおうち
中島 京子
文藝春秋

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 戦前・戦中・戦後にかけて「女中」として働いてきた女性の手記をもとに、現代人の甥を介して邂逅(かいこう)する入れ子細工のような構成となっている。
 昭和五年、十四歳だった主人公タキは山形から上京し住み込みの女中として働くことになった。まだお嬢様としか見えないような若奥様、時子は二十二歳。前夫との子、恭一を連れて再婚。山の手の上層階級の家庭での一部始終である。
 そこでの戦前、戦中、戦後の生活を女中の目から綴ったノートをひもときながら語られていく。戦前の日本の上層階級の暮らしぶりや風物、当時の玩具(ぐるぐる回る戦闘機、爆弾三勇士人形、日本のキューピー人形が世界でも大変な売れ行きだったこと)などを交えて東京オリンピックがダメになり、やがて戦争に入っていく日本の様子も描かれている。
 戦争を知らない私には当時の日本は物資がなく市民は戦々恐々としていたのかと思っていたら、あにはからんや、銀座のビルの屋上には「祝南京陥落戦勝大セール」のアドバルーンが上がっていた様子などが織り込まれていて、驚かされる。
 作家というのは資料を精査し作り上げるのだろうが、当時の山の手の日常の会話や暮らしぶりがリアルで映像を見ているように描くのは大変な手腕である。

 読んでいて懐かしい言葉を発見した。それは「鼠入らず」ということばだ。この言葉を知っている人はどれぐらいいるだろうか?
 遠い記憶の底に眠っていたものを呼び覚まされたおもいになった。私の母が時々使っていた言葉だ。「鼠入らず」とはネズミが入らないように作った食器戸棚のことだ。
母は「茶ダンス」ともいっていたような気がする。

お茶を淹れて参りますと、わたしはお勝手に向かった。
 「待って。待って」
 奥様は小走りに後を追われた。
 「ほうじ茶よ。鼠入らずの上の段に入っているわ」
 かしこまりました、と答えて、奥様と目が合い、二人で笑った。

 こんなさいな言葉にも昭和の匂いがする。今は使われない昭和の初期の家具の名称である。この作者はこのささやかな「言葉の歴史」にも目を配ってこの物語を作っていることに、これは並々ならぬ才と緻密さをうかがい知ることが出来るのだ。
 さて、物語はその後恋愛事件を織り込み、やがてラストでタイトルの「小さなおうち」が持つ深い意味へとなだれ込んでいく。
 伏線が幾つもあり最後の場面でその伏線が読者の頭に一本の線となって結ばれていく。
 あまりの構成のうまさにうなってしまった作品だった。
 穏やかで語り口調の筋書きは読みやすくまるでブログでも読んでいるようなたゆたいがある。しかし、よく練られた構成でその見事さは職人のわざである。穏やかな読後感と作者の才能に目を見張らされた。