飛翔

日々の随想です

たのしみは 朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲けるを見る時


太陽が顔を出しはじめた朝のしじまの中、書斎で仕事をはじめた夫の邪魔にならないよう、私も家事を始動する。植木や花に水遣りをする。朝顔の藍色の美しさに思わず「わ〜ぁ、綺麗!」と言うと夫が後ろから
 「夏の楽しみは朝顔から始まるね」
 と、にっこり。私は
 「あっ!その言葉、江戸時代の歌と同じだ!」
 と叫んだ。
 江戸時代末期の歌人に、橘曙覧(たちばなのあけみ)という人がいる。
 代表的な歌に独楽吟(どくらくぎん)と題した連作歌がある。52首もの歌はすべて
 「たのしみは・・・」からはじまっている。
・たのしみは 心をおかぬ友だちと笑ひかたりて腹をよるとき
 ・たのしみは 妻子(めこ)むつまじくうちつどい頭(かしら)ならべて物をくふ時

など52首が並ぶ。その52首の中にこんな歌がある。
 ・たのしみは 朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲けるを見る時
 これは奇(く)しくも、私が朝一番に咲いた朝顔の美しさに声をあげた時、「夏の楽しみは朝顔から始まるね」と言った夫の言葉と重なる。
 江戸時代末期の歌人の歌にこんなに,なごやかで心ほどける歌があったのかと,驚くとともに嬉しく共感するのである。
 さらにこの歌は亡き母が毎朝発する言葉とそっくり同じだった事とあいまって、なおのこと親しみが増す。江戸時代の人、母、夫と私と、時代を超えて人の心に生じる感情は変わらないことがしみじみと嬉しい。
 ふと子供の頃の夏の日が思い浮かんだ。
 寝ぼけまなこで起きると、父と母が縁側に座って朝顔を眺めながら、なにやら話している。
 「おはよう」と声をかけようと思ったが、なんとなく声がかけずらかった。忙しい父はゆっくりと家族と会話する時間がもてないような日々だった。そんな父が、珍しく母とのおしゃべりで笑っていた。母も楽しそうで、子供心に間に入っていってはいけないような気がした。聞くとはなしに二人の会話を聞いていると、朝顔の話だった。
 結婚前父は植物にはまるで関心がなかったのに、新婚時代、朝顔のアンドンづくりをしようということになった話だった。母がアンドン仕立てを作りながら
 「ねえ、あなた、朝顔のアンドンづくりって、これでよろしいのでしょうか?」
 と尋ねたそうだ。新妻に聞かれた夫としては何としてもこたえてやりたいと、いろいろな人に聞いたり調べたりしたそうだ。その甲斐あって、やがてきれいな朝顔が咲いた。二人して喜んだのはいうまでもない。夫としてのプライドも保てたし、二人して朝顔を作る喜びも知ったとか。
 しかし、何を隠そう、母は盆栽や植物にうるさい父親に育てられたので朝顔のアンドン作りなどお手の物だったらしい。その種あかしを父に告白していたのだった。
 「一杯食わされたなあ」と父は頭をかきながら笑っていた。
 母は植物を育てる名人であったが、夫育ての達人でもあったようだ。以来、朝顔は双方が亡くなるまで毎年我が家の庭に植えられるようになった。

 ・たのしみは 朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲けるを見る時
   
 江戸時代の歌人の歌は父と母の歌でもあり、夫と私の歌でもある。
 せみ時雨を聞きながら遠い日の、庭に咲く朝顔を眺めている父と母が思い出されるのだった。

※参考文献『橘曙覧(たちばなのあけみ)全歌集』(岩波文庫)の中から独楽吟(どくらくぎん)より。
 ・たのしみは 朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲けるを見る時
は1994年、天皇皇后両陛下のご訪米の歓迎式典で、クリントン大統領が引用した歌である。

朝顔のあんどん仕立てとは:
このつくり方は、最も初心者向きで、つるが伸びて30cmぐらいになったとき、あんどん型に3方に支柱を立て、針金の輪につるをまきつける。アサガオのつるは左まきで、下段から中段、上段と巻いてくれば、先端のつるを摘心して止めるやりかた。