飛翔

日々の随想です

老境とイエスとBuddha

欧米に旅をしたり、欧米の絵画や文学にふれるとき、キリスト教について知っていたら、もっと理解がふかまっただろうにと思うことがある。
このところ、神谷美恵子さんの著書についておもいをめぐらせている。神谷美恵子さんは十代のとき、キリスト教伝道活動をしていた伯父の三谷隆正氏の影響をうけたようだ。
ハンセン病患者に対して、「なぜ私でなくあなたが?」と思う底にはキリスト教的なものを感じる。しかし、神谷さんは排他的で、キリスト教を唯一無二のものとする考え方には同調しなかったようだ。晩年65歳(亡くなった年)の日記では
(私が「キリスト者」になれない理由は、イエスが30歳の若さで自ら死におもむいたため。三十歳といえば心身ともに絶頂のとき。その時思う理想と、65歳ににして経験する病と老いに何年も暮らすことは、何というちがいがあることだろう!!私はまだしもBuddhaのほうに、人生の栄華もその虚しさも経験し老境にまで至って考えたほうに惹かれる。)と日記で述懐されていることに私は深い感慨をおぼえた。
神谷美恵子さんは10代で結核をわずらい、40代で初期の癌を克服。57歳で狭心症。入退院を繰り返し、一過性脳虚血の発作などで14回も入退院を繰り返してきた。
最晩年はいつまで意識を保っていられるだろうかという不安と恐怖を抱えながら自伝を書いてきた。神谷さんの最後の日記は壮絶。
「人を愛するのは美しい。しかし、愛することさえできなくなった痴呆の意識とからだはどうなのだ?だから愛せる者よりも価値が低いと言えるか。くるしみに耐えること、ことに他人に与えるくるしみに。」
とある。精神科の医者が一過性ではあるけれど脳虚血症を患ったことはいつ痴呆になるかと精神的に苦しんだことだろう。
(私が「キリスト者」になれない理由は、イエスが30歳の若さで自ら死におもむいたため。三十歳といえば心身ともに絶頂のとき。その時思う理想と、65歳ににして経験する病と老いに何年も暮らすことは、何というちがいがあることだろう!!私はまだしもBuddhaのほうに、人生の栄華もその虚しさも経験し老境にまで至って考えたほうに惹かれる。)という言葉は私の胸に響いて去らない。
神谷さんの詩の中にある一節では、ハンセン病の患者に「なぜ私でなくあなたが犠牲になってくださったのかと?」とある。私はとうてい思えない。反対に「なぜ私ばかりが?」と不満に思う私である。
だから「なぜ私でなくあなたが」犠牲になってくださったのかと思う神谷さんの精神的背景を知りたいと思ってきた。
科学者で難病に長い間苦しんできた柳沢桂子さんについてここであわせて考えてみたい。
柳沢桂子さんは1938年生まれ。コロンビア大学大学院博士課程修了。原因不明の難病による闘病生活が続く。生命科学者・サイエンスライターとして病床から啓蒙書を書き続ける。著書に「生きて死ぬ智慧」等がある。
柳沢桂子さんは生命科学者であり、神谷美恵子さんは精神科の医者である。
柳澤さんも難病に苦しんできた人であり、その病床から得たものから「生きて死ぬ智慧」を書き、般若心経についての著作をものした。
 長い人生の苦闘の魂の記録である「神谷美恵子日記」の最後のページは柳澤桂子さんの苦悶の末に行き着いたところとあまりにも似ている。そして私が生死の境をさまよったとき、見たものは奇しくもBuddhaだった因縁を深く思う。
※私はどの宗教にも属さないことを付記する。

神谷美恵子日記 (角川文庫)

神谷美恵子日記 (角川文庫)

生きて死ぬ智慧

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