この数か月は激動の連続だった。思考がこう着して、前へ進まず苦悶した。
読書という私にとって空気を吸うような事が、できない日々でもあった。狭量な器の自分を嫌というほど自覚した。
自分の生きてきた道を振り返ってみるのが怖いぐらい意義のないものであったとつくづく思う。虚しいばかりのからっぽな自分が悲しい。それを埋めようともがいて、今懸命になっている。私という人間を知らない人は向学心に富んでいるとか、頭が良いとかいうが、それはあたっていない。背中に火が付いたかちかち山のたぬきのように、私は何かに追われるように人生を焦っている。
焦っているだけで、地道に額に汗している人には及ばない。誰かに手をとって導いてほしいとも思うが、きっと自分で道を探し当てねばならないことなのだろう。
だれのせいでもない。自分で自分の首を絞めている。もっと私は苦しまなければならない。今まで楽をしすぎた。
詩人であり医者であり、作家であり、主婦であり、母であった神谷美恵子さんは、今は治る病気であるハンセン病患者への奉仕のため、精神科医として長島愛生園に勤務した。
まだ偏見のあった時代であった。
美恵子さんの詩
らい者に
光うしないたる眼(まなこ)うつろに
肢うしないたる体になわれて
診察台にどさりと載せられたるライ者よ、
私はあなたの前に頭を垂れる。
あなたは黙っている。
かすかに微笑んでさえいる。
ああしかし、その沈黙は、微笑みは
長い戦の後に勝ち得られたるものだ。
運命とすれすれに生きているあなたよ、
のがれようとて放さぬその鉄の手に
朝も昼も夜もつかまえられて、
十年、二十年と生きて来たあなたよ。
何故私たちでなくてあなたが?
あなたは代わって下さったのだ、
代わって人としてあらゆるものを奪われ、
地獄の責め苦を悩みぬいてくださったのだ。
許してください、らい者よ。
浅く、かろく、生の海の面に浮かび漂うて、
そこはかとなく神だの霊魂だのと
きこえよき言葉をあやつる私たちを。
かく心に叫びて首たるれば、
あなたはただ黙っている。
そして傷ましくもゆがめられたる顔に、
かすかなる微笑さえ浮かべている。
(『神谷美恵子の世界』(みすず書房)より)
神谷美恵子の世界 | |
神谷 美恵子他 | |
みすず書房 |
不幸にしてこの病におかされた人たちに対して、神谷美恵子さんは自分に代わって犠牲になってくださったのだという敬虔な思いで診療に従事されていたという。
この世の中でいったい何人が人の不幸を「何故私たちでなくてあなたが?」と思うことができるだろうか?
自分の心の中の苦しさばかりを考えている昨今、ふと忘れていた神谷美恵子さんの詩を思い出し、読み直してみた。
自分の苦しさばかり考える愚かな自分をふりかえるのだった。