飛翔

日々の随想です

向井敏と百目鬼恭三郎と『四十一番の少年』

今は亡き向井敏は書評と言うジャンルを小説や他の文芸作品と並ぶ位置にした書評家であり、評論家であった。今では素人からプロまでさまざまな人が書評を書くようになった。書評家というとかつては<狐の書評>という覆面の書評家がいた。後年その素顔を明かしてみるとそれは山村修であった。そして<風の書評>というと、その素顔はあの百目鬼恭三郎であった。惜しくもこれらお三方とも鬼籍に入られたことは残念なことである。
 小説には解説がつくが、解説が小説の本文よりも魅力にとんでいて解説から読む人も多い。また解説の書き手に惹かれて小説を手に取る人もいる。私などはこの解説好きの一人である。昨夜は上記にあげた百目鬼恭三郎の解説に惹かれて一冊の本を徹夜して読んだ。
 解説が良かっただけでなく、小説本体が素晴らしいことも勿論のことである。
 小説は井上ひさしの『四十一番の少年』(文春文庫)。
 この小説を買った理由はもっと他にもあったことをつけ加えるべきだろう。
 それは解説が百目鬼恭三郎であったことを教えてくれた人がいたからだ。それは向井敏である。向井敏の『残る本 残る人』(新潮社)を読んだからという、まるで入れ子細工のような順番である。つまり向井敏の書評に導かれた一冊なのである。

井上ひさしの自伝的要素の濃い作品である。つまり井上が一家離散し、仙台にあるカトリック系養護施設に入れられた少年時代の体験にもとづいて描かれた作品である。
井上ひさしというと読者を笑わせることに腐心した戯作者という印象があるが、この作品ではそんな片鱗はない。しかし、読み終わってしばらくすると、井上ひさしがなぜ笑いにこだわったが、その根底にあるものの要素をこの作品に見つけたような気がする。
養護施設での体験。特に孤児になってしまった子どもにとって「家族」への憧れと希求というものの切実さがどんなものかしみじみとした「痛さ」となって読者を刺した。

養護施設に入っている「ぼく」と弟は義絶状態になっている亡父の実家へ夏休みに泊りがけで行くのだけれど、つらい施設に戻らず当分伯父のところに置いてくれるように祖母に頼むシーンでのセリフ。
「孤児院はいやなのかね、やはり」
「あそこに居るしかないと思えば、ちっともいやなところじゃないよ。先生も良くしてくれるし、学校へも行けるし、友だちもいるしね」「そりょそうだねぇ。文句を言ったら罰があたるものねぇ」「で、でも、他に行くあてが少しでもあったら一秒でも我慢できるようなところでもないんだ、ばっちゃ、考えといてください。お願いします」

というセリフが涙を誘う。
祖母に気遣いを見せながらも本心は孤児院には一秒でもいたくない。でも祖母は伯父にきがねしているからいいだせない。とどこまでも分別を持った子どものいたいけな心が悲しい。
これは実際井上ひさしの実体験だったのかもしれない。孤児院に入っていた井上だからこそ書けた微妙な心だろう。

 こんな体験をした人だからこそ「笑い」が欲しかった。人にも与えたい。そんな原点を見たように思う。
悲しみを知っているものにこそ、「笑い」は必要不可欠なものなのだ。
井上ひさしはそれを知っていた戯作者であり、小説家であったとこの作品を読んで思った。