飛翔

日々の随想です

人の振り見て我が振り直せ

今日は傾聴ボランティァの団体の定例会を見学に行ってきた。
 以前、新聞に記事が載ったあと、70人もの見学者があったとか。多くの人が興味のあるボランテイア活動なのだと知った。
 10分ほどのロールプレイを見学できた。また施設への傾聴の活動をした人の報告と振り返りがあり、参考になった。
 今まで習ってきたものとは少し違うのでこの団体に所属するのはやめることにした。10年というキャリアのある団体であり、しっかりとしたポリシーがあることを確かめたが、「傾聴」の難しさをひしひしと感じるロールプレイだった。
 私は私なりの勉強を重ねる必要性を思う。
 今まで試験勉強に時間をとられていた読書をまた復活させることになった。同時に専門書をじっくり読む時間も取りたいと思い、読んでみたら、びっくり!
 先日の卒業試験に出ていた問題がいくつかあって、前からこの専門書を読んでおけばよかったと後悔。後の祭りとは言え、問題自体はやはり何回解いてみても難しい。答えを知ってみたものの、血となり肉となるのは実際に体験してみるにかぎると実感。
 試験が終わって、ほっとしたようだけれど、頭の中はもう心理学とカウンセラー業でいっぱいになっている。
 いよいよ虚業が実業となる。自己洞察の足りなさを今になって反省。
 今日の傾聴ボランテイア活動を見学して、「人の振り見て我が振り治せ」の意味が理解できた。
 
 今日から読書・読書のモードに突入する。
 読書の秋とはよく言ったもので、空はどこまでも澄んで心静かに本を読むのにうってつけの気候だ。
 丸谷才一氏の訃報を今日知ってがっくりきている。書評を楽しみにしていたのに。新聞の書評に新風を吹き込んでくれた人だった。書評といえば、翻訳家の米原万理さんの書評も楽しく読んだものだ。絶筆 『打ちのめされるようなすごい本』は書評もさることながら、癌に対峙して、医師任せでなく、徹底的に調べて納得のいくように病魔と戦った記録でもあった。書評のジャンルを他の文学と同列にしたのは向井敏。端正で丈の高い文章は本当に素晴らしかったのに、鬼籍にはいられ無念。

 今の新聞の書評は面白いものがない。新聞のコラムもしかり。朝日新聞は中国の御用新聞かと思うほどで、購読をやめた。では私が一つ面白い書評を書いてしんぜようなどと、気がふれたことは言わないが、なんだか最近不消化な気分でいっぱい。