飛翔

日々の随想です

愛と音楽の軌跡


ピアニスト遠山慶子さんの演奏を聴いたことがありますか?
その演奏は柔らかでしなやかな音の深みに魅了されてしまう。
遠山さんのその生涯と生き方、誰もが経験したくともできないようなその恵まれたそだち方とその生涯を
加賀乙彦氏との対談からうかがい知ることができる。
その対談が本になった。



慶子さんは一般庶民から想像ができない程、裕福な幼児期と音楽の下地を持つ天真爛漫な人。偽善が嫌いで小学4年で退学。
著者紹介より「1952年アルフレッド・コルトー来日の際、認められて渡仏。パリのエコール・ノルマル音楽院に入学。巨匠の元で3年間学び教授資格、演奏家資格と共に第一位を得て卒業。ヨーロッパ各地のオーケストラに招かれる


お城に住み、ローザンヌに居住するコルトー氏のもとへ通う日々。
そこでコクトー、カザルス、ヴァレリーなどを紹介され感性の刺激と洗練に磨きがかかる.


こうした修行の間に作曲家の遠山一行氏とパリでお付き合いがあり、
いよいよデビューという時にプロポーズされる。
コルトー氏と自分との才能の差に見切りをつけ,パリを去る決心をし、遠山氏と結婚。


出産、姑の介護の間ピアノからは遠ざかる生活。
そして子育てが終わってから演奏活動を再開。


人生の節目のなかで紡がれた喜びや悲しみに、音楽も成熟していく過程がこの対談のなかで浮き彫りになっていくのが分かる。
特に巨匠との触れ合いのなかで学んだことは特筆に値する。

いつもなぜかコルトー氏からつらくされていた、ピアニストのクララ・ハスキル.
ある日、先生に切々とした手紙を出した「どうか私の音楽会にいらしてください」
しかし、コルトー氏は行かなかった。
なぜ?と遠山さんは巨匠に聞くと、
「クララに必要なことは、放っておくことだ。
どのような人にどのように教えるべきかを発見するのが、教師にとって一番難しいことだ。
クララはバランスがとれないような、孤独な時に最も素晴らしいものを生み出す才能なのだ。
生涯満足させないことが、彼女を生かす道なのだ」
「悲嘆するクララに先生の気持ちをはなしてあげたい、慰めてあげたい誘惑に何度もかられたわ。
でもそれは絶対にしてはならないことだと私にも身にしみて分かっていました。
一人の芸術家が育つことは、本当に残酷なことなのね。
本当の愛情には残酷がともなうの

と語る。
 また現代の音楽家について慶子さんはこう語る。

 今の生徒が遊ばないの。真面目にピアノだけ勉強している。
だからモーツアルト弾いても、逃げるようなかげろうのような、ゆらゆらした雰囲気がない。
情緒的なものが全然ないのねみんな現実的で。
何だかわからないところがなさすぎる。
ワンダフルという言葉、ワンダーとは何ですか。
ピアノを習いたいという子供に「何の曲を弾きたいの」と聞いても、返事する子が少ないのにおどろいてしまう。
私が子供の頃は、クライスラーや、ベートーヴェンがどんどん歌えました。
それを弾きたいから楽器を習うんだと思っていた。
今ではワープロの技術みたいにピアノは機械として扱われているんじゃないかしら」
「日本では人生経験なんかしないで四六時中ピアノに向わなくっちゃだめなわけ。
だからみんな変な音楽家になっちゃうのよ。

人間としてやっぱりピアニストだけでは、機械だものね、マシーンよ。ゆとりというのかなあ、遊びがないとね・・

 『音楽の商品化、腕前をみせびらかすような演奏の氾濫。すべての芸術に成熟がこばまれている時代』
に,こうした人生と共にその音楽も成熟していったピアニストが紡ぐ言葉は深い含蓄がある。


ちなみにヴァイオリニストの塩川悠子さんは慶子さんが偽善が嫌いで退学になった小学校が一緒だった由。