飛翔

日々の随想です

シューベルトを弾く



 我が家にはいろいろなジャンルの人が集まってきて、呑み、食べ、しゃべることが多い。
 そのきっかけになったのは、十数年続けている音楽ボランティァがはじまりだった。
 音楽を愛する人が集まってコンサート活動をしていた.
ある日、体に障害があって、コンサート会場に行けない子供のために
自宅で小さなコンサートをやってもらえないだろうかという依頼があった。
寝たきりの子供の誕生日に大好きな音楽の生演奏をプレゼントしたいという親御さんの希望をかなえるべく、仲間と演奏をすることになった。
 ヴァイオリンンはプロのヴァイオリニストが演奏し、ハープは私が演奏した。
 寝たきりのお子さんは、枕元で生演奏を聴くことができて目がキラキラと輝いて喜んでくれ、演奏する方も音楽の原点を見出したように思えた。
 これがきっかけで、私たち音楽愛好家で結成したグループは、コンサート会場に来れない人たちのための出前コンサートをすることになった。
 そんな仲間や、活動を通して知り合った人たちが、いつしか我が家に集まるようになったのである。
 音楽だけでなく、いろいろなジャンルの人たち集まりだして、話題も多種多彩となってきた。
 食べ物の話、建築、旅、文学の話、政治、経済、医療、とさまざまである。
  私もお能の話や、音楽、文学などの話題になると話の輪に加えてもらって持論を展開する。
 するとそれは違うとか、それは良い意見だとか、喧々諤々(けんけんがくがく)議論が沸騰して夜遅くまで話題に花が咲く。

 食べ物はみんなが得意な料理を持ち寄ったり、わが家のキッチンで料理してくれたり。
 そば打ち名人と称する友人は蕎麦打ち道具持参でやってくる。
 
 連休中にも、連中はやってくるだろう。
 

 欧米ではパーティーをすることで様々な人たちとの交流を盛んにする文化が根付いている。パーティーでは話題がない人、黙っている人は次からは招待してもらえない。たくさんの知識は必要ないのだ。自分だけの得意なものを持っていればよい。つまり、熱く語れるものを持っていることが大切なのである。
 しかし、熱く語るといっても、なまはんかな知ったかぶりは失敗のもとである。
 失敗と言えば、英国にいたころの大失敗を思い出す。
 イギリスにはお城や貴族の館がたくさんある。いまだに狩猟を楽しみ、きらびやかな夜会が催されたりもしている。
 私がいた学校も素晴らしい貴族の城、館であった。
 由緒ある館で屋根裏の謎の部屋では戦争の時、密かに作戦会議が催された場所であるとかといわれていた。
 時々、シェリーパーティーとよばれるパーティーがあり、色々な人が集まり賑わった。
 色々な人としゃべる中、私は一人の素晴らしい紳士と意気投合した。背が高く渋いスーツを着て薄暗いあかりの中でいぶし銀のように光って見えた。
 温かそうな茶目っ気たっぷりな目をしていてとても気に入った。話をするにつれ、彼がピアノの名手であることが分かった。
 シューベルトが好きで良く弾くということでシューベルト談義となった。私はよせばいいのに自分の考えや思うこと弾き方、解釈など熱くしゃべってしまった。
 彼は時々私の無謀とも言える飛躍的な話しに大笑いをし、「面白いね」と茶々を入れた。
 話が佳境になりそうなとき、パーティーがお開きとなってしまった。
「今度僕に君のシューベルトを聞かせてくれ」と言われ名残を惜しみつつ別れた。
 それから数日過ぎて、新聞をみてびっくりした。
 彼はシューベルトの第一人者といわれている世界的に有名なJ氏その人であった。その日はたまたま知人を訪ねて館に来たとのこと。
 
 三年前、日本でJ氏の ピアノリサイタルがあった。
 私ははるばるリサイタルを聴きに出かけた。素晴らしい演奏で涙がでた。演奏後、楽屋へ行ってみると、もうファンや関係者でごったがえしていて、姿を見ることもできなかった。
 もしお目にかかれても、きっと私の事は忘れていただろう。もう一昔も,二昔も前の出来事だったからだ。
 出前コンサートで、寝たきりのお子さんの枕もとで私が弾いた曲は、J氏の得意のシューベルトである。
 「今度僕に君のシューベルトを聞かせてくれ」と言われ、名残を惜しみつつ別れた日の約束を私は忘れないでいる。
 人は集まり散じて思い出を残す。
 私はなまはんかな知識をふりかざして、とんでもない失敗をした。身の程知らずの自分を思い知った。
 その失敗を忘れないためにも、そしてあの約束を忘れないためにも、私は今もシューベルトを弾きつづけている。