飛翔

日々の随想です

父と娘


がんらい、なまけものの私は学生時代は勉強もせず、試験のときは山をかける専門だった。
勉強していないので山がはずれたら悲惨だ。 勉強は自分の部屋でしないで居間の炬燵でするのが常だった。
炬燵のここちよさは、私から勉強の意欲を奪うばかりか、眠りの世界へといざなうのだった。 もうろうとした意識の中でノートの端に
「山かけて谷底落ちるうさぎかな」と書いて炬燵で寝込んでしまった。
朝起きて学校へ出かけようとすると開いたままのノートに見慣れぬ字があるではないか。 読んでみると父の字で ,
「うさぎさんへ」とあり、 「山は駆けないで、地道に歩くように」と書かれてあった。
「ありゃ!参りました」
洒落の分かる親父殿に面を一本とられてほんの少しだけ反省するのだった。

わが家は女ばかりの女系家族。つまり娘ばかり三人と母と父。 年頃の娘がいる家というのは賑やかだ。 良くしゃべるし、良く食べるし、良く笑う。 父親の居場所はなかなかない。
しかし、娘と妻が仲良く食堂で笑っている声が聞こえると父親と云うのは仲間に入りたいけれど、なかなかそのタイミングをつかめないらしい。 そこで父親としては考える。
そうだ!食堂に行くにはお茶がほしいといえば良いのだと気付く。
のこのこと食堂へ行き、「お茶くれ!」とぼそりと云う。
今まで笑っていた娘三人と妻はじろりと父を見て「何よお父さん!お茶なら淹れて部屋まで持っていってあげるわよ」と云う。
ここで引き下がって部屋までお茶を運ばれたらまたひとりぼっちになる。
そこで父親はこういう。
「 いや、ここで飲んでいくよ」と。 どっかりと座ってさて娘たちの話に入ろうとするとどっと笑われる。
?????
何だ?何だ???
急に笑われて父親は面食らう。
実は娘たちと妻が「お父さん、きっとこの辺でお茶飲みに来るわよ」と話していたところだったのである。
父親の心理はとっくに娘にも妻にも読まれていたのである。
かくして一家は「お菓子とお茶と笑い声」と「お父さん」がまざってめでたし、めでたしとなるのである。

ここまで思い出して実家でのなごやかな団欒がまぶたの裏によみがえるのであった。
かつて「うさぎさんへ」と書いた父のお洒落で温かでユーモア一杯の文字が懐かしく思い出される。
お父さん! あなたは娘たちにひそかに愛されているのですよ! いや、いっぱい愛されているのです。 あなたが娘を愛しているように。