飛翔

日々の随想です

新美南吉生誕100年


 今年は児童文学作家 新美南吉生誕100年を迎える。 
 新美南吉が有名になったのはそんなに昔のことではない。
 しかし今では小学校の4年生頃の国語教科書に登場する「ごんぎつね」が有名になり、全国の小学生の胸に感動を刻むようになった。
 そして上皇后の愛読書として新美南吉の童話があげられ、IBBYの世界大会の講演で 幼少時に聞かせてもらった心に残るお話として『でんでんむしのかなしみ』が語られ世界中の人々にその名を知らしめることができた。
 今では「東の宮沢賢治、西の新美南吉」と並び称されるようになり、新美南吉ファンである私はうれしくてたまらない。
 南吉はわずか29歳で病没。独身だった。しかし恋する心は青年らしく心に秘めていたに違いない。
 それはこんな詩からしのばれるのだ。

  指
 指突っ込んだ子が
云って来る
その指出しなさいと
わたしがいふ
まだととのはぬ
冷たい指
わたしがぐっと
ひっぱると
その子がよろける
ヨジム塗ってやる
おかっぱ頭下げて
いってしまふ
足音が廊下のはてで
消える
わたしはまだ若い
教師
あの指握った掌(て)を
そっと開いて見る
なあにわたくしは
ただの教師
これは窓から流れ入る
金木犀の繊い香

([校定新美南吉全集」第八巻掲載から)
この詩の中の「指突っ込んだ子=突き指した子」というのは南吉が教師をしていた安城高女の女子生徒だったことがわかった。この女生徒に南吉は結婚しても良いと思ったほど心をとらえた人だったという。
 それを知るとこの詩の中のわたしはまだ若い/教師/あの指握った掌(て)を/そっと開いて見る/なあにわたくしは/ただの教師 に南吉が「教師と生徒と云うタブー」を意識し、躊躇する気持と手に残る感触とほのかに香る残り香をかみしめる気持がにじんでいてやるせなくなる。
彼女はその後家族の転居によって安城高女から西宮市の女学校に移ってしまう。その時、南吉は餞別に「リルケ詩集」を贈ったという。その奥付には南吉のペンで「こころはあたたかかった ことばはつめたかった 南吉」とあったという。
熱い心はあったのに、冷たい言葉しかいえなかった・・・」と伝えたかったのだうか?
死の床に臥していた南吉を西宮から駆けつけたのは彼女だったという逸話はなによりのはなむけとなったのだろうか?添わせてあげたかったような気がする・・。
南吉が知人にあてた手紙にはこんな1節がある。

 『たとい、ぼくの肉体はほろびても、君達少数の人が、ぼくのことをながくおぼえていて、美しいものを愛する心を育てていってくれるなら、ぼくは、君たちのその心に、いつまでも生きているのです。』

南吉を慕って日本全国から南吉記念館を訪れていることを天国の南吉に知らせてあげたいものだ。いえ、それどころか、上皇后陛下が世界の人たちに向けて南吉の世界を知らしめたことを教えてあげたい。
※(参考文献:はんだ郷土史だより)