飛翔

日々の随想です

シェイクスピアと与謝野晶子と憲法改正と

 憲法改正するか否かについて議論がかまびすしい。
 シェイクスピア時代の戦争感、特に女性の戦争に対する考えと、与謝野晶子の時代の戦争に対する女性の考え方を挙げ、現代にも通じるであろう、女性が思う戦争に対する感じ方を検討してみたい。
 シェイクスピアの「コリオレイラス」に見る出征中の将軍についての妻と姑の会話がある。
「功名心と愛国心とに燃え立つ「しっかり者」である母ヴォラムニアは息子コリオレイラスの武勲を思って心を躍らせているが、しとやかで控えめな妻ヴァージリアは、ひたすら夫の安否を気遣う。

 Volumninia: I tell thee, daughter,I sprang not more in joy at first hearing he was a man-child than now in first seeing he had proved himself a man.
 (母ヴォラムニア:ね、まったく、あれが男の子だとはじめて聞いたときも飛び立つほど喜びはしたが、あっぱれな男子になってくれたことを今見ての喜びには比べものになりませんよ)

 Virgilia: But had he died in the business, madam; how then?
(妻ヴァージリア:でも、お母様、今度のことで亡くなってしまったら、その時は?)

 妻ヴァージリアは剛直で殺伐な軍人と、そういう子を持つことを大きな誇りとしている母と、無知な群衆との間にあってただ一人、人間らしい心を持っている気高い女です
 彼女にとっては戦場は決して功名の市場として歓迎すべき所ではない。それはやむを得ない“business”でああって、そこには安価なRomanticismが少しもない。


 与謝野晶子の『君死にたもうことなかれ』の主旨とシェイクピアが描くヴァージリァ。

 どちらも戦場は決して功名の市場として歓迎すべき所ではなく、ただひたすら『君死にたもうことなかれ』と祈る気持ちは同じなのである。
 つまり反戦などと大上段に構えた思想的なものでなく、「人としての素直な気持ちの発露」に一致点をみるのである。

与謝野晶子の『君死にたもうことなかれ』を今一度読んでみよう。
格調高く、せつせつとした心情があふれ胸を打つ名文である。

君死にたもうことなかれ
(旅順口包囲軍の中に在る弟を嘆きて)
                      与謝野晶子
ああおとうとよ、君を泣く、
君死にたもうことなかれ、
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとおしえしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。


堺の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば、
君死にたもうことなかれ、
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり。


君死にたもうことなかれ、
すめらみことは戦いに、
おおみずからは出でまさね、
かたみに人の血を流し、
獣の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこころの深ければ
もとよりいかで思うされん。


ああおとうとよ、戦いに
君死にたもうことなかれ、
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまえる母ぎみは、
なげきの中に、いたましく
我が子を召され、家を守り、
安しと聞ける大御代も
母の白髪は増さりぬる。


暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻を、
君わするるや、思えるや。
十月(とつき)も添わでわかれたる
少女(おとめ)ごこころを思いみよ、
この世ひとりの君ならで
ああまた誰を頼むべき、
君死にたもうことなかれ。



これは当時、反戦歌だと糾弾するものがいたけれど、与謝野晶子自身はそんな国家にそむくきなどさらさらなく、弟を思う気持ちをここのままに歌ったのである。
それは詳しくは晶子自身が書いた当時の『ひらきぶみ』に書かれてある。
長くなるので今回は割愛する。
そしてこのことは後に与謝野晶子の次男秀氏に嫁いだ道子が、結婚後から晶子の晩年までの約七年ほどの想い出を綴ったもの『どっきり花嫁の記』主婦の友社 に書かれていてあきらかになっている。
 それから引用すると:

「義母は右とか左とかいう思想、主義、または、一つの既成宗教にさえかたよることなく、人間として、女性として、母として生き抜いた、誠実、清潔さなど、私どもが学ぶべきものはあまりに多いと感じるのです」

とある。


さて、現代の私たちの考えはいかがなものだろうか?上にあげた二人の女性の想いは現代にも通じるものではなかろうか?
 誰が自分の息子を夫を弟を肉親を戦地へ喜んで送る者がいるだろうか?
 ここを起点に戦争と平和憲法について今一度考えてみてはいかがだろうか。