お盆休みになって民族大移動のように、多くの人がふるさとへお土産を持って帰っていく姿がニュースで流れる。
「ただいま〜ぁ」と玄関をまたいだ途端に子供の顔になっている不思議。
懐かしい山川。めっきり年老いた父母。兄弟、友達、親戚。懐かしいふるさとのお国言葉。心も体もくつろいで、母の得意料理に舌鼓を打つとき、ほっと日頃の緊張がほどけて涙ぐむ。自分が親になったことも忘れて母親の背中にふざけておぶさってみる。小さく丸くなった背中が愛しい。いよいよ帰る日に、母の姿が見えないほど小さくなっても、母は、まだちぎれそうに手を振っていた。近い将来、こんな姿も見えなくなるのかもしれないとふと不安がよぎったっけ。
お盆になると決まって私はこんな詩を詠む。
ふるさとには
ふるさとには
なんにも ない
山と
川と
空のほかには
だけど
母さんが いるふるさとには
なんでも ある
夢と
友と
思い出がある
だけど
母さんが いない
(中島和子「青い地球としゃぼんだま」銀の鈴社より)