飛翔

日々の随想です

百人一首を楽しむ


 家族そろって食卓を囲んで笑顔がこぼれる食事ほどおいしいものはない。



子供の頃も、お年賀客が引き上げてから、家族でカルタに興じたのが一番楽しかった。
 いつも台所でさかさになって働いてばかりの母が、和服の袖をからげてカルタをとる姿が勇ましく、かわいく、嬉しかった。不在がちの父が百人一首の読み手になる。節をつけて歌うように詠むと家族一同がカルタに真剣になる。「ハイ!。ハイ!」「それ私の」「あ!お姉ちゃん、お手つき!」と大騒ぎ。
 母は百人一首の名人でいつもおっとりしているのに、人が変わったように勇ましくなる。一年で一番母が生き生きと女学生になる瞬間である。


 お正月はだんだん簡素化して、家族がそれぞれの楽しみに興じるようになった昨今、百人一首を家族で楽しむ家もきっと少ないのだろう。
 三男の嫁がすごしてきた修羅場のようなお正月は振り返りたくないが、子供のころの百人一首は懐かしく思い出される。


皇居で毎年歌会始が行われるが、そのとき古式にのっとって朗詠される。
 それを「和歌披講(ひこう)」と言う。旋律をつけて詠われる。
 その旋律をつけて詠われているCDを聴きながら百人一首を楽しむ本を紹介しよう。




 歌会では懐紙あるいは短冊にしたためられた和歌を読み上げ旋律をつけてうたいあげる。
 これが「和歌披講」である。
 披講を行うには、読師(どくじ)、講師(こうじ)、発声、講頌(こうしょう)の四役があり、読師は短冊を取りさばいて歌会を進行する。
 講師は節をつけずに読み上げるが、句ごとに切り、句の末を長く長く延ばすのが特徴。発声と講頌は旋律をつけて歌う役。発声は講師の読み上げを阿吽(あうん)の呼吸で受け、発句を独唱する。講頌は「付け所」と呼ばれる第二句から発声にあわせて合唱する。
(『聞いて楽しむ百人一首兼築信行著(創元社)からの引用抜粋)


 歌会始などで聞く和歌披講しか聴いたことがないが、和歌は韻律を楽しむものでもあると気がつくのであった。文字で知る百人一首と聞く百人一首とでは別の趣があると思った。