飛翔

日々の随想です

自分の内なる力を信じよう


 
 なにかにすがりたい、頼りたいと思うことはある。困り果てたときや、心が弱りきっていたときがそれだ。
 そんなとき、大いなるものの存在が自分を守ってくれると思うと力が湧いてくるものだ。
 それは自分の内なる神のようなものでもあり、他力本願のような存在でもある。
 また朝陽をみると自然と手を合わせてしまうこともある。

 しかし、老人が紙切れ一枚に書かれた御札(おふだ)を何百万円も出して買い、それを信じたり、
 水晶の珠に家一軒を売り払って購入するとなると、怪しいものを感じる。
大いなるものがいたとしたら、それが大枚を老人からまき上げるようなことはしないはずだ。
 目に見えないものを信じなければ生きていけないような世の中を憂うべきなのか、不屈の精神で立ち向かう心を養うべきなのか。

自分の内なる力を信じて自分で自分を治癒したり解決する力を高めたいものだ。人間には本来自己解決能力があるのだから。
 何でもかんでも他力本願する前に、客観的に内省的に自らを見つめるものを子供の頃から身につけたい。
 あのオウム真理教がその一例のように思う。
 国立大学の医学部を出て、医学で人を救うのでなく、教団の言葉と教義を盲信して、大勢の人を殺傷しても平気でいることの狂気をおもう。
 信じるもののためなら他を排除したり、殺したりするのをなんとも思わないのは、他国の宗教戦争にも見られる。
 何でもスピリチュアルに頼りすぎる昨今の風潮に首をかしげたくなる。