2009年一月の歌会始のお題は「生」であった。
当時の皇后さまの御歌
生命 ( いのち ) あるもののかなしさ早春の光のなかに 揺り蚊 ( ユスリカ ) の舞ふ
の歌に心を強く引かれた。
「ユスリカ」は蚊に似ているけれど人を刺したりしない。
川や池などの浄化に役立つという意味では基本的に益虫であるといえる虫である。
集団で蚊柱を立ててうるさがられたりもする。
その生態は成虫の寿命は長くても1、2日ぐらいであり、
成虫は口器が無く消化器も退化しているので、一切餌を摂る事ができない。
当時の美知子皇后陛下(現在の上皇后)はここに注目なさったのだろう。生まれてすぐ、餌を食べることもなくはかなく死んでしまう虫の「生」(いのち)。
なんとはかない命の営みなのだろうか。
餌を食べる口さえもないまま生まれたその身。
そして生まれてすぐに死んでしまうはかなさ。
早春の淡い光の中で舞うその姿に「生」(いのち)というものの美しさとはかなさと、そして悲しさを思うのである。
日本文学のもとともいえる「もののあはれ」にも通じる。
深い思索と文学性に導かれる「生」(いのち)をみつめるまなざしがそこにはある。
生まれてすぐ死ぬべき運命を課せられた「ユスリカ」。
しかし早春の淡い光の中で集団で蚊柱となって群舞する「ユスリカ」。
生まれてきてすぐ死を迎えなければならないはかない命のユスリカが光の中で舞う。
それはまさしく「生きていること」の謳歌であり、一刹那なのである。
その小さなものの命にまでまなざしを向ける、その心が大切なのである。
わたしたちは「生きている」ことが当たり前になっていて、その命のはかなさ、大切さをなかなか自覚しない。
命や「生」を意識するのは、それがあやぶまれるときや、はかなさを自覚するときとは皮肉なものだ。
一刻の生を大事にしたい