飛翔

日々の随想です

ニイニイ蝉カアブラ蝉か


我が家の庭に父祖のように一本で森を作っているケヤキの木。
 その樹皮につかまっている無数の蝉がこれ。↓ じんましんができそう!!

     ジャージャーと炒りつくような蝉の声(ろこ)
 これがジージーと朝から鳴いてうるさい。テレビの音も、話し声も聞こえないほど。テレビは雨戸を閉めてみている。
 閑さや岩にしみ入蝉の声芭蕉
 この句とはまるで縁がない我が家の蝉たち。
 閑さや岩にしみ入蝉の声芭蕉)は『奥の細道』集中もっとも優れた句の一つである。
この句の蝉は油蝉かニーニー蝉かで議論が沸騰したことがある。それは斉藤茂吉の油セ蝉説と、ニーニー蝉説の小宮豊隆との間の議論である。

回想の父茂吉 母輝子 (中公文庫)
斎藤 茂太
中央公論社

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 茂吉の長男,作家で医者である斉藤茂太の回想記『回想の父茂吉 母輝子』(中央公論社
「蝉論争」の真相について抜粋してみよう。
それは昭和初期の小宮豊隆と茂吉のセミ論争である。

 山形の山寺で芭蕉が詠んだ「閑(しづか)さや岩にしみ入る蝉の声」のセミが、ニイニイ蝉カアブラ蝉かという論争だ。小宮先生ニイニイ蝉、茂吉アブラ蝉説だ。茂吉の検証ぶりは「執念深い」としか言いようがないが、最後の段階では山寺の麓の小学校に頼み、小学生を動員して山寺に登ってもらい、蝉をつかまえてもらうという有様だった。この論争にもし茂吉が勝っていれば茂吉のあくなき努力は実を結んだわけだが、結果はその反対で、茂吉は小宮さんに降伏したのであるから実におもしろい。

 とある。
 茂吉の「粘着気質」をあげながら分析しつつ話を進めていて他の回想記とは異なる面白さがある。
 ここでの山寺とあるのは、立石寺と云山寺:山寺はこの土地の名前であると同時に寺の通俗的呼び名。現在でも「やまでら」と呼ばれている。天台宗宝珠山立石寺<りゅうしゃくじ>。仙台・山形を結ぶJR東日本仙山線山寺駅下車。徒歩1,2分。

 もし、芭蕉が我が家の油蝉の鳴き声をきいたらどんな句を詠んだだろうか。俳句にもならんと退散したかもしれないやかましさである。