飛翔

日々の随想です

無常迅速


朝から蝉しぐれでテレビの音が聞こえないほど。
 連続ドラマ「おひさま」をみようとしても蝉の声がうるさくて聞こえない。窓を閉めたぐらいではまだだめで、とうとう雨戸をしめる。
 庭の東の一角には我が家の父祖のように一本の欅の木がある。このけやきは一本で森をつくっている。欅の下は涼しい木陰をつくっているが、蝉が何十匹、何百匹と幹にとまり鳴いている。夏はこの何百匹の蝉しぐれが耳をつんざくのである。
 初蝉の声がすると「あァ、今年も夏がやってきた」と季節感がたかまるが、毎日蝉の声が聞こえるころになると、
 「あァ、やかましい。ただでさえ暑いのに、蝉の声がじりじりと暑さをかきたてているようで、やかましい!」
 とけやきめがけて叫んだりするのだから勝手なものだ。
 そして蝉にけちをつけて久しい日々が過ぎる頃、「カナカナ」とヒグラシが聞こえだす。すると、とたんに、なにやら心さみしくなる。夏の終わりを告げるはかない声に無常感がつのる。
 日本人の季節感を育てているのはこの蝉にちがいない。

 芭蕉の句に「無常迅速」という前書きつきで次のような句がある。

・やがて死ぬけしきも見えず蝉の声

「無常迅速」とは人の世の移り変りは常にはかなく変転してやまない。時は移りゆき、形あるものは必ず滅する。一切が無常。こんな前書きをつけたこの句は近江の幻住庵にいたときの作。

秋の来るのも待たずして死ぬ蝉がそんなけぶりは少しもみえないで、死も生もすべてを天に任せきって夏の日差しの中で鳴いているのを見ると、そぞろに物のあわれを感じるということだろうか。
普遍的な命と、その儚さの極みを感じる。
まさに「無常迅速」。
グスタフ・マーラー Gustav Mahlerの五番の第四楽章が耳に響いてやまない。