飛翔

日々の随想です

留萌本線終着駅

私の最初の旅は五歳の時だった。
 大人用のサンダルをつっかけて、母の買い物袋をさげて父を迎えに駅まで一人旅。
 誰にも何も言わず一人で駅まで続く野道(埼玉県与野)を歩いて行った。
 帰りが遅い父とはめった顔をあわすことがない。幼い私はなぜか急に父に会いたくなって駅まで迎えに行けば会えると思い込んでいたのだ。
 私が忽然と消えてしまった我が家では大騒ぎになった。近くの人を集めて近くを捜索する騒ぎとなった。そこへ父と娘が手をつないで帰ってきたのだからまた大騒ぎ。
 そんな遠い思い出があるからだろうか、私は駅が好きだ。駅は、そこからどんな遠くへでも行ける出発点だ。機関車や電車の姿や音も好きだ。
 今日何気なくテレビをつけたら、留萌本線の鉄道の旅をやっていた。
 留萌本線の終着駅は増毛だ。増毛駅に降りるとみんな線路の先までみる。その先はもう行き止まり。錆びた線路には草がはえていて何とも言えない風情を醸している。
 五歳の私が一人で父を迎えに行った駅もひなびていた。駅というよりも停車場という趣だ。
 増毛駅を降りて町へ向かうと歴史的建造物があるようだった。かつては豪商と言われた呉服屋の丸一。酒屋があり、三国シェフのレストランオーベルジェがある。木造の増毛小学校は木のぬくもりにみちている。
 いつか行ってみたい留萌本線終着駅。増毛の映像だった。
 外国ばかり旅をしてきたが、国内のこうしたひなびた場所にも足をのばしたい。いったこともない場所なのに、画面をみていると懐かしさがこみあげてくるのはなぜだろうか?
 うるさいばかりの番組を嫌ってテレビを見なかった私だが、こんな鉄道の旅番組もあったなんて嬉しくなった。遠い昔、五歳の私の記憶の底にある与野の風景が昨日のようによみがえってくる。鼻腔を麦のにおいがよぎる。父に手を引かれて帰ったあの時の麦のにおいだ。