飛翔

日々の随想です

一夏の吟遊詩人


ブラジル音楽で「蝉の声」という曲を聴いたことがある。
 切なく歌い上げる声がやるせなく、しかも激しくて歌詞の一部が「精一杯歌うお前、今こうして歌っていてもやがて死んでしまう蝉のお前よ!」というような歌詞だったとおもうのだけれど・・・
 歌手はクリスティーナ・ミタ。
 ところで、語学の学習に関連して言語における周波数が問題となっている。
 日本語のもつサイクルと英語のそれとは大きく差があって、その周波数の耳を持つことが語学習得の鍵となっているという学説がある。もっとも、これはまだ確立した論理とはなっていないようだけれど。

 似たような話で外国人と日本人とでは虫の鳴き声にかんする感受性が異なると言われている。
 例えば、秋の虫。
 日本人は鈴虫の声に寂寥感を感じたり、詩的情緒をかき立てられるけれども、外国人はただ鳴いているとしかうけとれないとか。
 そう言えば、アメリカ人の友人は蝉の声が騒音としか聞こえないらしく、ノイローゼ状態になってアメリカに夏の間だけ帰ってしまう。
 しかし!アメリカでは蝉が大発生する年があるそうだ。17年に1度だけ地上に出現し、ほかの年には姿を見せない不思議な「17年ゼミ」。
 「17年ゼミ」とは聞き慣れない名前だ。
 周期ゼミ=米東部には、毎年羽化する日本などのセミと違い、17年か13年に1度だけまとまって羽化する「周期ゼミ」が生息しているという。

 ・静けさや岩にしみ入る蝉の声

 なんていう句は外国人には分からないのだろううか?
 最もこの句は作者と蝉との距離がだいぶ離れていて、背景は静かな林を抜ける渓流が流れている風情・・
 都会の蝉がジージー鳴くのとは違った趣。
 暑い夏が遠のき、忍び寄った秋を感じるのは夜の静けさの中鳴く虫の音。
 日本人は「あ!虫の声。もう秋がきたのねえ」と思うもの。
 所変われば品変わるとはよく言ったものでそんな「虫の音」に感じ入る私達は何と繊細な国民なのだろうか!
 そう。表現は「虫が鳴いている」ではなくまさに「虫の音」なのだ。
 短くはかない命を惜しむように、命の炎を燃やすように鳴く蝉を「一夏の吟遊詩人」として梢の水をのませてあげようではないか。