いまやサラリーマン川柳は大人気である。
五七五の句の中に現代の世相を見事に織り込んでいて、ひざを打って笑ったり、そうそうと大いに共感したりする。その川柳も、昔の川柳はなかなか味が深いものがある。「誹風柳多留 」がそれである。
年をとってからやっと意味が理解できるものもある。年月を経て、「あ!そうか!」などとわかるのも悪くはない。
例えば、
・座右において、年を重ねるほどにおかしみがましてくる佳句、人の世の風情。
・誕生から死まで。すぐ口元がほころぶような傑作句。
・人間関係を見守る川柳風土。
・腰元、殿様、貧乏旗本,勤番武士。生身の時代もの人物像。
・何でもない日常生活のおかしみの一瞬を、すばやくとらえて定着させた、ウイットの妙味。
(略)
・女心の機微をさぐる秀句。
・人生の肯定句。
などである。
その中の二三句を引いてみよう。
・その手代その下女 昼はもの言はず
・婿の癖妹が先へ見つけ出し
・物差しで昼寝の蝿を追ってやり
・雨やどり額の文字を能(よ)くおぼえ
ちょっとしんみりする句は
・南無女房 乳を飲ませに化けてこい
ちょっとおかしく怖いのが次の句
・死水を嫁にとられる残念さ
・姑の日向ぼっこはうちを向き
(姑は日向ぼっこにさえ、嫁のほうを向いて目を離さず看視している)。
怖い川柳だが、現代なら通用しないかもしれない。現代っ子のあっけらかんとした嫁を看視できるわけもない。
つやっぽく、夢二の絵を思わせる川柳も紹介している。
・泣く時の櫛はこたつを越して落ち
あとがきで著者はこう述べている。
女性に古川柳の研究を趣味とされることをおすすめしたいと思います。川柳と言うものは男性的発想の産物であり、われわれ女性が馴染むことによって、思考のバランスが取れるような気がします。楽しくおかしく、やがて悲しき世界なのです。こんなすばらしい宝庫をほうっておく手はありません。
江戸時代の酷烈な言論思想統制のもとで、古川柳の作者たちは、告発の刃を人間の内部へ向けました。古川柳にみる鋭い人間凝視や客観性を、私は興深く思います。それは社会の矛盾をあばき、時代の政治を批判するという外向的発散を超え、人間の内なるものを鋭い歯で噛むのでした。
わずかな語句で、人間や人生をあばき、諷刺する古川柳の魅力を紹介した本書は、また人間へのあたたかなまなざしへと回帰させるものでもある。落ち込んだとき、ふと読んだ一句に心が和むことがある。笑顔になれるやさしさももたらせてくれる。
田辺聖子の絶妙な選句と解説がすばらしく、カバーと本文装画が山藤章二となれば、これは間違いなく手にとらねばならない一冊である。
手元に置いてどんなときでも読みたい本。