姑が嫁に、「あなたって育児がまだ未熟ね」といったとします。
それを聞いた一人の嫁は、
①「育児の経験がないから今は上手にできないけれど、これから日々育児を重ねて子育てがうまくなるようにしよう」と育児のベテランに尋ねたり、姑に教えてもらおうとする。
ある嫁は、
②「育児が下手っていうことは、私って何もかもダメなのね」としくしく泣き出した。
ある嫁は
③「育児が下手な私は、生きていても仕方がないわ」と悲観した。
ある嫁は
④「育児がダメな私はもう母として失格、人間としてもダメな人間ね」と絶望。
ある嫁は、
⑤「隣の奥さんが近所の主婦と話しているところを通りがかったとき、私の方を見て笑った。きっと育児が下手だって噂しているのね」と思った。
姑は嫁に「育児が未熟ね」と言っただけなのに、こんなにも反応(結果)が違います。
どうしてこんなにも反応(結果)が違うのでしょう?
これはアメリカの臨床心理学者エリスによって提唱された「論理療法」と関わりがあります。
ABC理論と呼ばれるものです。
つまり、上の例で言うと、「出来事」)A(Activating event)(育児が未熟)に対する自分の信念B(Belief)(何もかもダメね、生きていられない、母親失格、噂している)の偏(かたより)が悩み(結論)C(Consequence))を作るという考え方なのです。
人間は一つの出来事に対して(無数の)信念にもとずいて行動するのです。つまりA→B→Cのように。
この信念には二種類あって
①理性的信念
②非理性的信念
があります。問題を起こすのは②の非理性的信念です。
上の育児が未熟な例でいうと、五人の嫁たちのうち①をのぞいた嫁が姑に否定されたと思ってしまったのです。
つまり、この非理性的信念でなく、理性的信念になれば、こんな歪んだ思考パターンをしないですむわけですよね。
これって、日常、よく考えがちなパターンじゃないですか?
では姑さんが「育児が未熟ね」と思った理由を考えてみましょうか。
姑が問題の場合
①自分の時代とは違った育て方だと思ったから
②紙おむつよりも布おむつのほうが良いと思ったから
③泣かせたままだと脱腸になると注意したかったから
④洗いざらしの布の方が真新しいものより、糊がついておらず赤ちゃんの肌に良いのにと思ったから
嫁が問題の場合
①育児書どおりに育てたかった
②お祝いにもらったベビー服はフリルがついて可愛いと思ったのに、赤ちゃんの肌に悪いと言われた
③紙おむつの方が面倒でなく、処分しやすいと思った
このように、姑が「育児に未熟ね」といった理由はたくさんあるけれど、嫁の人格やそのほかに問題点があったわけではありません。このように、認知療法、論理療法では、非理性的信念をかたっぱしから論破して、悩まない方向へと導いていきます。
上の例のように、認知の歪み、信念のゆがみにはいくつかのパターンがあります。
②にみるように全てか無か的思考。つまり100%でなければ、0%だという考えかた、(育児に失敗した私は何もかもダメ)
③にみるように「結論の飛躍」。(育児に失敗した私は生きられない)
④にみるように「拡大解釈と過小評価」。自分の失敗(育児に失敗)を過大に解釈(母親失格、人間失格)
⑤にみるように「自己関連付」自分に直接関係ないのに、関係あるように判断してしまう(私の噂している)
⑥そのほか、「感情的推論」「私が感じるのだから、それは本当のことだ」
⑦過度の一般化(たった一つの良くない出来事を、何度も繰り返して起きているように感じてしまう)
このように、非理性的信念は、自分でも無自覚なまま自分に向かって言い続けると、習慣化(学習)してしまいます。
やがて自動思考(自動的に湧き上がる思考)となって様々な場面で反射的に繰り返されます。
あなたはどんなパターンの信念のゆがみや偏りになりがちですか?
上にあげた自分の偏った思考・行動パターンをする「非理性的信念」の芽は摘んでしまいましょうね