飛翔

日々の随想です

低血圧と美女


あと十日もすれば五月だというのに、寒い一日だった。気温10℃。三月下旬の気温である。福島は雪だとか。さぞかし寒いことだろう。風がやけに冷たい。
 寒いと、とたんに朝起きるのがつらくなる。
朝起きられないのは低血圧の人だというが、私は低血圧ではない。単になまけものだというだけだ。
 朝はしっかりご飯を食べないと元気が出ない。
子供の頃から遅刻しそうになっても朝食だけはしっかり食べて出かける子供だった。今もそうだ。


 「美女」というものは、低血圧で朝が弱く、細い柳腰をしならせて「あぁ、今朝は食欲がなくってよ」などと青白い顔を曇らせて言うことになっている。 
それなのに朝から「ああ!おなかが減ったわ!」などと元気いっぱいに起きてくるなんぞは興ざめになる。
 とはいっても、実際、朝起きると「何かいいことありそうだ」と思い、「おなか減ったわ」と思い、「何食べよっかなあ」などと言いながら冷蔵庫をかきまわすわたしなのだから、およそ美女のイメージからは遠のく。


 人生で誰と食卓を共にするか。
それは愛するものと笑いながら食卓をかこむほど楽しくおいしいものはないだろう。
家族の他にというなら、男と女というくくりかたがある。


 まるでフランス映画でもみるような歌を歌う歌人がいる。
松平盟子がその人である。




・えび料理にすこし手間取りそのあいだ男への応え引きのばしおり
・言いかけし皮肉の小骨のみくだす可愛がられていたいこの夜を
ロゼワイン心澄む夜をそそがれて馥郁(ふくいく)とせる時間(とき)が満ちたり

([ミッドナイトコール」『たまゆら草紙』)



 まるでカシニョールの絵の中の女性のようにけだるい退廃が漂ってくる。
そんな夜は美食のテーブルでなくてはならない。
勿論元気いっぱいなどとは極北の人である。


 ああ、私も一度でよいからそんなアンニュイな香りが漂う低血圧の女になりたい。