飛翔

日々の随想です


 今日は風もなく暖かな春の週末である。
 コートを脱いで外に出る。明るい日差しがまぶしいばかり。暖かでどこかへでかけたくなる。
 こんなときは、旅心をくすぐられる。かつて旅を枕にしていたときが在った。ヨーロッパ中を車で走り、留学時代の友人宅を訪ねながら旅をした。旅の目的地はイタリアの古都である。アレッツオの近くにあるサンセポルクロ【Sansepolcro】 が旅の目的地。イタリア中部、トスカーナ州の町。アレッツォの北東約40キロメートル、テベレ川沿いに位置する。旧称ボルゴサンセポルクロ。フィレンツェ統治時代、コジモ1世により現在の旧市街を囲む城壁が造られた。ルネサンス期の画家ピエロ=デラ=フランチェスカの生地として知られ、同地にある市立美術館は代表的な作品を所蔵している。また、複式簿記を考案した数学者・修道士ルカ=パチオーリの生地でもある。
 ここには留学時代の友人が住んでおり、結婚式をあげるというのではるばるやってきたというわけだ。スイス、ドイツ・フランスと旅してやっとたどり着いたイタリアの古都は静かなたたずまいだった。友人のお宅へ先ずは挨拶に行くと部屋と言う部屋すべてに贈られて来た花が飾られむせかえるようだ。美しい花嫁マリアが出迎えてくれてご家族全員に紹介され、近くにとってあった宿へ案内された。翌日、荘厳な教会で長いベールをなびかせて絶世の美女マリアと180cmの長身の新郎が式を挙げた。披露宴はそこから少し離れたお城で行われる。友人・親戚は車に乗りお城まで移動。車はお城に着くまでクラックションを鳴らしっぱなし。イタリアの結婚式の慣わしだろうか?驚くのは新郎新婦の親をはじめとして全員平服だったことである。私と英国人の友人は結婚式用にカクテルドレスと帽子姿で着飾ってきて違和感があったがしかたがない。夜が明けるまでご馳走攻めの結婚披露宴だったが、古城に月がかかりイタリアでの結婚式は終生思い出に残るものとなった。
 披露宴を辞してまたヨーロッパ中を車で旅しながら英国の家まで帰りつくという旅は最高に楽しいものとなった。ヨーロッパ中に散らばっている友人たちはみな、温かく迎えてくれ、旧交をあたためながら懐かしんだひと時だった。
 旅を枕に過ごしてきた一時代が過ぎ、こうして気候が良くなるとまた、旅心がうずく。
 点から点への移動である旅はその点がつながってやがて線となり、線と線がつながって面となる。面と面がつながって立体となるように、思い出は重層的な立体となって記憶の底から浮かび上がる。
 そこまでが旅であろう。
 二月がもう終わろうとしている。弥生三月はうららかな春の陽光でまばゆいばかりになるだろう。
 ああ、旅が私を呼んでいる。(靴下から足袋に変えるとしようか(?))