飛翔

日々の随想です

ある小さなスズメの記録

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第二次世界大戦中のロンドン郊外で一羽の小スズメが左足と翼に障碍をもって生まれた。
自然界では生きていけないとみなしたのか、親鳥は巣からこの雛を落とした。
孵化したばかりのこの雛はピアニストの老婦人に拾われ、十二年と七週と四日と言う寿命を全うしたのである。
その実話記録が本書である。


 著者は序文で「愛玩動物の物語ではなく、何年にもわたり、人間と鳥との間に培われた親密な友情の物語である」としている。
 クラレンスと名づけられたスズメは婦人の献身的な愛情に包まれて育ち、
野性の本能と、後天的に獲得したピアノに合わせてトリルつきで歌うという才を身につけた。
室内だけを全世界とした彼はヘアピンと、トランプの札、マッチ棒などで遊びをみつけた。
この愛すべき特技は爆撃機におびえる子供たちや市民につかのまの安らぎを与えることになった。


 野生の鳥が人間に全幅の信頼を寄せ、甘え、生きていることの歓喜の歌を歌うことなど、誰が知りえようか。


 最も感動するのはスズメが晩年、生まれついての不自由な体でありながら、
くじけず、脳卒中の後遺症でさらに不自由な体を自らの訓練でリハビリする様子である。
誰に教えられたわけでもなく、自ら乗り越えていく姿からは、ただただ、勇気と励ましをもらう。


  本書は六十年前、ヨーロッパやアメリカで大ベストセラーになった。
 その幻の名作を梨木香歩が翻訳。最近ではめずらしく函におさめられていて、装画は酒井駒子による。装丁は大久保明子。
 酒井駒子の胸に染み入るような装画の小函は本書をいつくしむように包んでいて、
この本がどれだけ丁寧に心をこめて作られた本であるかがわかる。


 「訳者あとがき」で梨木香歩はこう述べている:
 「キップス夫人の文章は格調高く、感情表現を極力抑制し、スズメの行動を客観的に推測するのに必要な情報を冷静に著述しようと意志が見られた。
だからこそ、そこから隠しようもなく滲んでくる、クラレンスと共に過ごした日々への愛惜が胸を打つ。
物言わぬ動物を、人生の「同伴者」として共に過ごすことは、自分自身の内側に棲む生きている鏡と会話を続けるようなものだ。
だからその喪失は、人間の友を亡くすつらさとは種類の違う、自分自身の、部分的な喪失とも等しい。
文字通り、「穴」が開くのである。内的な必然から、彼女はこの「記録」を、書かざるを得なくなったのだろう。他の何ができようか」


 梨木香歩の心をこめた名訳がしみじみと胸を打ち、小さな函にいつくしむようにおさめられた本書は長く読み継がれてほしい一冊である。

 ※訳者の梨木香歩は著者がスズメと暮らしたケント州ブロムリーから車で数十分ほどの場所に住んでいたことがあるという。くしくも私もケント州に住んでいたことがあるので、縁を感じる。そして梨木さんが本書を訳していたとき、愛犬を亡くしたとあった。
 私も二年前に愛犬を亡くした。しかも彼は脳腫瘍をわずらい、立つことがやっとだった。しかし、それにもめげずに、散歩を日課にしていた頃を思い出す。転んでは立ち上がり、また転んでを繰り返す日々を思い出すと、障碍をおったスズメのクラレンスの姿と重なる。十二歳の誕生日を目前にした死だった。