飛翔

日々の随想です

『羽田浦地図』

羽田浦地図

羽田浦地図

 先日二十三年ぶりに遺稿集『昔日の客』が復刻された。限定され出版された遺稿集だけに特定の人だけに渡った本である。ゆえに復刻されて広く多くの人に読まれるようになったのは快挙ともいえる。
 さて今日紹介する『羽田浦地図』は二年前に二十一年ぶりに復刻された作品である。この本が21年も埋もれていたとは驚きである。
 暴力やセックス、お手軽な恋愛物が出版されてはすぐ消えてしまう出版業界のなか、地味な小説は見向きもされなかった。そう。この小説はお手軽なものを好む人にはそっぽをむかれる小説である。
 著者は高卒後町工場の旋盤工として51年間働きながら小説を書いてきた人である。『大森界隈職人往来』(岩波現代文庫)で第8回日本ノンフィクション賞を受賞。その他多くの作品を発表してきた。
 今日紹介する『羽田浦地図』は表題作のほか、三作の短編が載っている。
 どれも旋盤工が登場する町工場の人たち、暮らしぶりが描かれていてノンフィクションのような味わいがある。
 特に表題作の羽田浦地図では驚くべき事実に目を見張った。
 東京空港の用地になっている広大な敷地は敗戦まで、三つの町だったということを知っている人はどれぐらいいるだろうか?
 敗戦の年の9月21日を境にこの三つの町は忽然と姿を消してしまったのだ。
『占領軍の命令により、48時間以内に退去すること』というたった一枚の通告で、三つの町は壊されてしまったのだった。
 そんな事実を話の発端にすえてこの小説は展開していく。
 この羽田浦の町工場で働く旋盤工たちとその経営者は下請けの下請け、孫請けのような零細な仕事に追われる日々。受けいれがたい環境の中、愛着ある仕事に身を粉にする人たちの様子は職人気質とひとくくりにはできない何かがある。不条理を飲み込んで進んで行こうとする人の腰の座りは半端ではない。洗っても洗ってもとれない長年の油のしみは町工場で生きる人たちの生きている証そのものなのである。
 こうした下町界隈や旋盤工を別の角度で書いた作家がもう一人いる。
 お洒落に味わい深く書いたのが堀江敏幸の『いつか王子駅』である。下町の人間やその界隈、都電荒川線の走る「王子」界隈の風情を巧みに描いた堀江。
作中では、旋盤工の職人の腕前の素晴らしさは「のりしろ」にあると描いている。それは他者のため、仲間のため、自分自身のために余白をとっておく気遣いと辛抱強さにも通じるとある。
そんな風に暖かなまなざしで旋盤工の世界や下町界隈を描いたのが堀江敏幸である。
 小関智弘堀江敏幸。この両作家が描く旋盤工の違いをくらべてみると面白い。堀江敏幸が描く旋盤工の腕前の素晴らしさは「のりしろ」にあるというのに対して自らが51年間旋盤工として働いた小関が描く旋盤工は:
 「心のたいらな人間でなければ、仕上げ職人になれない。なぜなら仕上げ仕事というものは、どんなに複雑なものでも、結局はどこかに水平面を持って、それをショウにしている。ショウは正直の正でも定盤のジョウでもない。性根のショウだ。ヤスリ仕あげは心をたいらに削ることからはじめるのだ。」
 「心を平に削ることからはじめる」という言葉は51年間旋盤工として働いてきた人でなければ生まれない言葉だろう。
夢や楽しさを与えてくれる娯楽作品も大切である。しかし、こうした地味ではあるけれど滋味にも通じる作品をじっくり読んでみたいものである。
21年ぶりの復刻が実現したのも「心を平に削る」という言葉たちに出会いたい人がいるからであろう。