飛翔

日々の随想です

能「海士(あま)/窕之伝」:観能記

能楽堂における能の鑑賞レビューの再掲である。
 名古屋能楽堂において青陽会定式能が催された。
仕舞「鐘之段」近藤幸江 能「頼政」梅田邦久、 杉江 元、椙元正樹、 佐藤友彦、今枝郁雄 能「海士/窕之伝」久田三津子、澤 拓海、 高安勝久、橋本 宰 (間)井上菊次郎 河村総一郎、船戸昭弘、
 という演目と主な演者である。
 今日の見所は
 能「海士(あま)/窕之伝」(五番目物)。数ヶ月前から楽しみにしていた演目とシテ方である。
 シテ:久田三津子、子方:澤 拓海、
 能「海士(あま)/窕之伝」:

 この演目はいわば「母もの」といわれるもの。
 わが子の出世の為に命まで捨てるという激しい母の愛が眼目であり、今も香川県志度町に伝説として残っているものだ。
 房前大臣(ふさざきのおとど)(子方)が従者と供人をともなって志度の浦にやってくる。
 生母がこの土地の海人(あま)で浦の房前というところで死んだと聞かされ追善供養に来たのだった。そこに海人(あま)がやってくる。従者は海の底に映る月影を観たいので海草を刈るよう命じる。
海人は昔宝の珠を海底から持ち帰ったともらす。
 海人の昔語りがはじまる:
 昔、唐土から藤原不比等の氏寺 興福寺に三つの宝物が贈られた。ところがお釈迦様の珠をこの浦の沖で竜宮へ奪われてしまった。藤原不比等は姿を変えてひそかに志度浦にやってきて一人の海人と契りを交わし、珠を取り戻して欲しいと頼む。海人はやがて子どもをもうけた。それが房前大臣(ふさざきのおとど)。房前大臣(ふさざきのおとど)はそれは自分だと名乗る。
 海人は話を続ける。
 海人はわが子を藤原家の跡継ぎにする約束と交換に海の底の珠を奪いかえすことを誓う。
 海にもぐった海人は自分の乳の下を掻き切ってそこに珠を隠す。竜宮では血を嫌うから。流れ出る血潮に竜神がたじろいでいる隙に海人は息も絶え絶えになりながら帰ってくる。
 ここがもっとも激しい見せ場!
 語り終えた海人はこうして死んだ海人こそが私であり、その亡霊だと告げその後の弔いを頼む手紙を子どもに残して海に消える。
 追善供養する子ども。そこに龍女姿を変えた母の亡霊が現れ成仏できた喜びの舞を舞う。

母物というのは「隅田川」や「百万」などがあるけれどこれは涙をさそうというよりも母の愛の激しさ、子どものためなら命も惜しまない、乳の下を掻き切ってそこに宝の珠を隠すという激しさを舞い、謡うのであるから見せ場は息をもつかせない。
この激しくも強い母の愛を当代きっての舞の名手である久田三津子師が切れ味鋭く、しかも凛々しいばかりに美しく舞って見せた。
激しさをあらわすのは舞ばかりではない。囃子方に笛、大鼓、小鼓、太鼓(河村総一郎、加藤洋輝、船戸昭弘、竹市学)の四人が打ちそろい、かけあうように、舞い手と囃子方の息がぴたりとあうさまは近年見たことがないほどの出来映え。
しかも久田三津子師の優れたところは舞の名手であるばかりでなく、その朗々とした声の素晴らしさにある。普通能面をつけて謡うと声が面のなかにこもるうえ、謡い独特の難しくも古めかしい詞章が聞き手には難解に感じるものである。
しかし、久田三津子師は言葉の一つ一つがくっきりとして客席のはるか後方まで届くのだから観客は能舞台に釘づけとなり物語の行方に没頭できるのである。
言葉は伝わってこそ命を持つもの。
言葉の一つ一つが命を持って観客にせまり、舞の美しさとストーリーの面白さが一体となって能は華となった。
泉鏡花の『歌行燈』はこの能『海士』(あま)を元にした短編であることも興味をひかれた。
近江の「三橋節子美術館」へ行ったときに見た「湖の伝説」の絵を彷彿とした。
母と子。湖と海。
奇しくも両者とも母が自分の命を捨てて子どもを助ける物語であった。

能を観てこんなに身を乗り出して堪能したのは久しいことである。
子方の澤 拓海君は小学生になったかならずかぐらいであろうか、長丁場を堂々と演じきって小さなヒーローでもあったことも付記しておこう。
久田三津子師の至芸に魅了された一日であった。