飛翔

日々の随想です

「巖頭之感」と漱石と神谷美恵子

1903年(明治36年)5月22日、一高生・藤村操が、日光・華厳滝わきの大樹を削り、そこに「巖頭之感」と題した墨書を残して滝壺に身を投じた。
弱冠16歳、日本近代史学の祖として高名な那珂通世博士の甥でもあった少年哲学者の自死であった。
16歳にして次のような遺文であるからして驚く。
「巖頭之感」
「悠々たる哉(かな)天壌 遼々たる哉古今 五尺の小躯を以て此(この)大を測らんとす ホレーショの哲学竟(つい)に何等のオーソリチーを価するものぞ 万有の真相は唯一言にして悉(つく)す 曰く不可解 我れ此恨みを懐いて煩悶終(つい)に死を決するに至る 既に巌頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし はじめて知る 大なる悲観は大なる楽観に一致するを」

 華厳の滝に身を投げて死んでしまった藤村操 16歳はあの夏目漱石の生徒であった。第一高等学校で英文学の教鞭をとって間もない漱石の授業に藤村操は宿題を忘れてやって来た。激しく叱責した漱石。そのことがあってまもない一週間後藤村操は華厳の滝に身を投げた。狼狽した漱石
何も宿題を忘れたことをなじられて身を投げたとは考えられぬけれど、叱った身としては狼狽することだろう。
しかし、・・・・
漱石はその事件後出版した「我が輩は猫である」の後半、古井武右衛門という青年を揶揄して「かあいそうに、うちやっておくと巌頭の吟でも書いて華厳の滝から飛び込むかもしれない。]などと書いている。
どういう意図なのか私にはわからない。しかし、かりにも自分の教え子だった者の自死を自分の小説で揶揄するようなことがあるなどとは驚きである。漱石は案外冷たい人だったのかも・・・?
  昨日から私は「神谷美恵子の世界」みすず書房を読んでいる。彼女を知らないで生きてきた時間が惜しまれる。かの鶴見俊輔は彼女を「聖者」であると本書で語った。まさに言い得て妙。彼女がこよなく愛して訳した名訳『ハリール・ジブラーンの詩』の中から『おお地球よ』を抜粋しようと思う。
ハリール・ジブラーン作 神谷美恵子 訳
『おお地球よ』

なんと美しく尊いものであることか、地球よ。
光に全き忠誠をささげ、
けだかくも太陽に服従しつくすあなたよ。
なんと愛らしきものであることか、地球よ。
(略)

曙の歌のなんというやさしさ、
夕べの賛歌のなんという烈しさ。地球よ、
十全にして堂々たるものよ。
(略)
地球よ、あなたはだれ、そしてなに。
あなたは「私」なのだ、地球よ。
私が存在しなかったならば、
あなたは存在しなかったろう。

(「思索と瞑想より」抜粋)
神谷美恵子さんはいかなる人でも「生きがい」を求めている人の人生には意味があると述べている。
[死」を美化してはならじ。
しかし、死人に鞭打つように揶揄する者もいて、それが誰あろう漱石であったとは・・・!!