飛翔

日々の随想です

旅は道連れ

 青柳瑞穂(あおやぎみずほ)という名前を聞いたことがあるだろうか?
青柳瑞穂はフランス文学で生計をたてる翻訳者であり、阿佐ヶ谷文士の一人でもあった。
仲間に堀口大學がいた。堀口大學は外交官の父とベルギー人の義母の家庭にあって、日常会話はフランス語であったという。フランス語を母国語のようにする堀口大學と肩を並べてフランス文学で道をたてることの苦しさは計りようがない。また他の阿佐ヶ谷文士であった井伏鱒二太宰治木山捷平(きやましょうへい)などの名だたる面々の間にあって、文学で一家を為(な)すことの苦しさも、相当のものであったろう。
そんな逃げ道を骨董に見いだしたのであろうか。青柳瑞穂は農家で見つけた平安時代の壷を掘り出したのをはじめとしてまたたくまに国宝級の骨董を次々と見つけだしたのである。
 そんな青柳瑞穂について日常語ることはまれなことである。よほど骨董が好きな人か、フランス文学に興味がないと口の端にものぼらないのである。
 それがはるばるトルコの旅でツアー客の一人と食事をしながらふと瑞穂の話が出たときは驚いた。二人で阿佐ヶ谷文士のだれかれの話や、瑞穂はなぜ骨董に走ったか、光琳の皿について、平安時代の壷について、瑞穂の翻訳本「マルドロールの歌」についてむさぼるように語り合った。
 はっと気がつくとツアー客はみな食事が終わって二人だけが取り残されていた。博物館に入って古い壷にかけよるとそこにまた彼が同じように駆け寄っていた。二人して「ふっふっふっ」と笑いがこみあげた。
 ツアーの客同士と言うだけの淡い間柄ながら、こんな楽しい時の流れがあったのは嬉しいかぎりだ。
 旅は道連れとはよく言ったものである。