夕食の準備をしている最中に電子レンジが故障した。コンセントの部分が接触不良をおこしているようだ。コンセント部分は一体化しているので部分的に交換する事はできないようだ。
便利なものが使えなくなると、とたんに不便になる。当たり前だけれど、これがそうなってみないと分からないものだ。ちょうど指先にちょっとした怪我をしてはじめてその不自由さにきがつくようなもの。
野菜のしたごしらえから、解凍、あたためはもとより、スポンジケーキまで電子レンジでやっていたので不便なこと極まりない。
病気をする前までは、一週間休みなしに仕事をしていた。仕事が終わるのが夜9時。それからかたずけて、食事の準備にとりかかると夕食は10時。必要は発明の母。電子レンジほどありがたいものはない。
いつだったかニューヨークで停電があった。高層ビルのエレベーターは止まり、地下鉄はうごかなくなり、皓々としていた灯りがニューヨークから消えた。文明の利器に頼り切っていた現代人にとってはパニックだ。
キャンプで使うダッチオーブンを取り出してきて、外で薪を燃やし、料理。
星空の美しさにやっと気がつき、ばらばらだった家族が身を寄せ合うのだった。
だからといっていつまでも薪で煮炊きなどもはやできなくなっている文明人。
喧騒と利便。時代の最先端を行くIT機器を駆使した瀟洒なオフィスビルで働き、週末には別荘や郊外の家で薪が燃える暖炉で太古からの灯にくつろぎ心身を温める。
そんな贅沢な生活でも隙間をうめられない。
ふと普段着のぬくもりある会話、昔かたぎの人情に触れてみたくなる。
ふらりと旅にでてみたくなるのはそんな時だ。
忘れてきた何かを探しにでる。
本の世界にそれを見つけることもある。
人間の帰巣本能がそうさせるのだろうか?
では人間はどこへ帰りたがっているのだろうか?
自分の中の巣のありかはどこだ?