飛翔

日々の随想です

「銀座に食事に行くぞ」
 日曜日の夕方、父が家族に号令をかけた。
忙しい父と顔を合わせることが少なかった子どものころ、日曜日は久しぶりに父の顔を見ることができる日だ。そんな日曜日に銀座へ行くなんて飛び上がるほど嬉しいことである。
母はいそいそと上等の着物を出して着替え始め、中学生の姉は花柄のワンピースを着ている。一回りはなれた姉は父が外国で買ってきたジャケットをタンスから出してきた。小学生の私は白いブラウスに濃紺の地に白いプードルが刺繍してある円形フレアスカートをはいた。家族総出で銀座に食事に出かけるなど、めったにないことなので、みんなうきうきと楽しげだった。特にお調子者の私は嬉しくて、フレアスカートをひるがえして、くるくる回った。スカートは円を描いてコマのようになった。両手を広げてどんどんスピードを増すと、ぐるぐると天井が回って、とうとう目まで回す浮かれぶりだった。そこへ、いつも質素な身なりの母が、しっとりとした着物姿であらわれると、家族一同「わ〜っ!」と驚いた。指には、父からもらった記念の翡翠(ひすい)の指輪をし、佐賀錦(にしき)のバッグと草履(ぞうり)で身を整えて玄関に立つと、父が嬉しそうに何回も振り返ってみるのだった。
 家族一同、車に乗ってドアを閉めると、父は「銀八」(ぎんぱち)に行くぞと言った。銀座にある老舗寿司屋である。私はそれを聞いたとたんに気持ちが悪くなった。何しろ私は魚が大嫌いな子だったからだ。
 「あの〜、あたし・・・おうちでお留守番する」
 と小さな声で言うと父は
 「わがまま言うんじゃない!」
 と怒った。
 普段から子どもの年齢も、食べ物の好き嫌いも知らない父である。自分が寿司を食べたいから寿司を食べる。ただそれだけで行き先は決まるのである。私以外はお寿司が好きなのでほぼ決定である。車の中で泣きべそかいている私を見て母が
 「私とロコは親子どんぶり食べるわ」
 と言いだした。親子どんぶりは私の好物だった。
一番上の姉が
 「えー、お母さん、銀座へ出かけるのにわざわざうどん屋に行くの?」「ロコ!あんたがわがまま言うからお母さん可哀想じゃない」
 と私に怖い顔を向けた。
 二番目の姉などは
 「ロコだけ、置いて行っちゃえば〜!」
 と意地悪を言う。
 私はさめざめと泣き出した。もうこうなるとせっかくの銀座行きが台無しだ。結局母と私はうどん屋へ入り、父と姉たちは寿司屋へ行った。せっかく上等の着物を着て、記念の指輪をして、おめかしをしたのに、母は、父と離れて私とうどん屋で親子どんぶりを食べるはめになった。私が魚嫌いであるばかりに、母の楽しみを台無しにし、家族で「銀ブラ」をする計画をふいしてしまった罪は大きい。
 出かけるときは、あんなに嬉しくて、くるくる回ってはしゃいだのに、うどん屋の椅子に座った私は、新品のスカートのはじっこで涙と鼻水を拭いてすっかりしょげてしまった。親子どんぶりを食べながら、まだしゃくりあげている私に母は
 「お母さんはね、本当はお魚が苦手だったの。だから親子どんぶりでよかったわ」
 と言い出した。
 「でもこれ誰にも内緒よ。ロコとお母さんだけの秘密ね」
 と笑った。
 私は本当かしら?と思ったが、「ロコとお母さんだけの秘密ね」という甘い魔法のような言葉が嬉しくて
「うん」
と元気に返事をした。
 銀座の老舗寿司屋からでてきた姉たちは、凱旋(がいせん)将軍のように意気揚々(ようよう)として、どれぐらいおいしかったか、店の雰囲気がどれぐらい良かったか、帰りの車の中で熱弁をふるった。
 私は母への申し分けなさはあったものの、あの魔法の言葉が支えてくれて、行きよりも気分は軽かった。
 この一件があって以来、さすがの私も魚嫌いをなおそうと食べるようになり、この日の出来事もいつしか、家族の記憶から薄れていった。
 師走。母は寒空(さむぞら)の中、一筋の煙となって天に召された。
 お骨を拾いながら、叔父がこう言った。
 「姉さんは、子どものころから魚が大好きだったからこんなに骨がしっかりしているんだなあ」と。
「あっ!」
と声をあげた私はあの日、上等の着物を着て、いつもしない指輪をして、嬉しそうだった母の姿が目に浮かんだ。
 「誰にも内緒よ。ロコとお母さんだけの秘密ね」と、うどん屋で言った母の言葉を思い出して、私は声をあげて泣いた。