飛翔

日々の随想です

自分の目で

これだけ情報が氾濫すると、この情報の網を利用して仕事にしようとする人が多くなる。ブログもその一つになった。HPがその機能を果たしてきたが、いまやその境目もなくなんでもかんでも利用する。それは利用する者とされるものとが一致すれば問題はない。しかし、今はこのあまたある情報にふりまわされることなく、おのが目を信じることも必要なのではなかろうか。例えば、ヴァレンタインチョコレートに見るように、女性が男性にチョコレートを送る習慣などなかったのに、製菓会社の操作で猫も杓子もチョコレートを買いあさるありさま。しかもこっけいなのは「義理チョコ」なるものの存在である。本来の主旨から遠く外れて、送りたくない相手にも義理立てて送るという行為は本末転倒もいいところだ。
 べストセラーと呼ばれる本もそうである。売れる前から空前の売り上げと書かれて店頭に並んでいる。
 「温故知新」と言う言葉もあるように、少し昔の人の本にも名作はある。そして名作と呼ばれないものにも、名作はあるのだ。それは自分が感動した本はその人にとって名作にほかならないからである。出版されては消えていく本が多い。猫も杓子もというと「猫」が怒るだろう。ベストセラーという名前に群がることはない。ゆっくり、じっくり本を読む。自分で選んだ本をじっくりと読む。昔読んだ本を再読する。読み落としたり、まったく読み違えたりしていたことにきがついたり、まったく別の箇所に新しい感動したりする。
 商売っ気が多い本への誘導には最近辟易している。