お父様も俳人だそうだ。
黛さんはお年頃になって婚約寸前の人を家に連れてきたとき、月がでていたのをみて「あら、月だわ」というと彼は「そうだね」と言っただけだったとか。
横に居たお父様が「桜月夜だ」と言ったとか。
月をみても何の感慨も浮かばない人とはやっていけない、父のように「桜月夜だ」と云う感性の人でないと駄目だと悟ったとか。
なんだか似た様な話をどこかで読んだような気がする。
そして私もそれと同様なことを思う。
打てば響く相手を求めてしまうものだ。
黛さんは打てば響く相手がお父様であるという幸福と不幸を同時にあわせもってしまったともいえる。
与謝野晶子がかつて嫁から相思相愛で結ばれた歌人夫婦の結婚生活がどんなに幸せであろうかという問いに「人生はそんなになまやさしいものではありません。夕食の支度をしながら歌を作ったりしました」
「他のあらゆる苦と共に私の忍んできた苦の一つは夫の仕事上の競争者の地位を持っていることであった。」と吐露している。
趣味であるうちは楽しいけれど職業となると苦がともなう。
ましてや伴侶がライバルとあっては互いに息を抜く暇がないことだろう。
また打てば響きすぎると相手が何を考えているか分かりすぎてこれまたやりずらいということもある。
帯に短したすきに長し。最良の伴侶を見つけるのは難しそうだが、自分のたすきが短いことも考慮に入れて、帯の長い人をみつけた私である。