飛翔

日々の随想です

桜の時期にぴったりの古本のレア本

桜の時期にぴったりの本を紹介しましょう。
支那童話集』佐藤春夫著 日本児童文庫.(アルス)。
古本のレア本です。
装丁・恩地孝四郎 口絵挿絵・島田訥朗


※「賜天覧、台覧」と最初の頁に印刷されていて、天皇陛下皇后陛下にご覧頂きましたという事で非売品と奥付けにはあった。
古本屋でみつけたレアものです。
なにしろ皇室関係者に(天皇皇后陛下?)に献上した貴重品。

本書は中国の昔の本『東周列国志』『聊斎志異』『今古奇観』『太平廣記』から材料をとったもので、
 著者である佐藤春夫の「はしがき」によれば、
「別に童話といふのではありませんが、少年少女たちが読んでよかろうと思ふものを集めてみたのです」とある。
全部で十六篇の物語となっており、初めてよむのにどこか懐かしく、胸がときめくような面白さと美しさに満ちた物語たちである。


「美しい絹を織る妻」は「夕鶴」のお話にも似ているけれど、夕鶴のような悲しさがなく、
天女が親孝行の主人公のために目も妖な絹を織って報いるという終焉が
詩をよむようで佐藤春夫の文がきらめく。


十六篇の中でも長いお話「百花村物語」は口絵挿絵にもなっていて、島田訥朗の絵が夢の中を遊ぶよう。
主人公は秋先という一人住まいの老翁。
花を眺めては愛で、育ててはこれを愛し、四季を通じて花をたやさずにいる無類の花好き。
その愛好ぶりはといえば、もう散ってしまった花びらでさえも捨てないで皿の上にのせて眺め、
ひからびると甕に入れ花のお弔いをするほど。

また花びらが雨に打たれて泥の中にうめられると、幾度も幾度も洗い清めてそれを湖上に流すのだった。
それを彼は花の浴(ゆあ)みだと思うのだった。

花をめでるものは古今東西を問わず多い。
しかし、かくも慈しみ、愛おしむ気持ちの麗しさは読む者の胸をうたないわけはない。


詩人でもある佐藤春夫の訳のさえが、文のそこかしこにちりばめられ極上の時がすぎゆく。
 主人公は花を手折るものへ次のように言う:
「一たい花といふものは一年に一度だけ咲くものです。四季のうちたった一つの季節だけで、そのうちでもまたほんの五六日だけのものです。あとの三つの季節の冷淡な仕打ちを、かの女がじっとこらえて来るのも、このほんの幾日かを世の中へ出て、光や風に逢いたいという一念からなのです。これがふいに折りとられてしまいます。咲き出すのには長い辛苦で、折りとられるのはほんの瞬きをする間のことです。
花はものをいえないけれども、花だってこれが悲しくないことがありましょうか。」



花を手折る人を嫌って一時、秋先は庭を閉じてしまう。
しかし、それは己の傲慢と知って後に村人に開放するが、
それはお能西行桜」の物語にも一脈通じていて興味深かった。


中国の物語をもとに、佐藤春夫が時空をこえて面白く、美しく、胸ときめく詩情に読者をたゆたわせてくれる極上の物語十六編。


「はしがき」で佐藤春夫
「この本はほんとうなら芥川龍之介君といっしょに著すつもりでした。
それだのに芥川君がなくなられたのでわたくしだけの本になってしまいました。
芥川君がいてくれたらもっと面白いものになったろうと思って残念です。皆さんにもお気の毒です。」
昭和三年クリスマスの日   佐藤春夫しるす



とあった。