飛翔

日々の随想です

『増訂 長安の春』

長安の春 (東洋文庫 (91))
石田 幹之助
平凡社

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わが国の中国文学に多大な貢献をしてきた石田幹之助博士の名著『増訂 長安の春』石田幹之助東洋文庫)を読む喜びに浸っている。
とにかく名文にして注釈は完膚なきもので名著中の名著と言ってよいだろう。
石田博士は大正五年(1916年)東京帝国大學史学科、東洋史学専攻を卒業し銀時計を下賜された人物である。
一高時代の同窓は菊池寛芥川龍之介久米正雄などがいる。とくに芥川とは親しく、芥川の『杜子春』は石田が教えたということになっている。
石田博士がすごいのは文献中心の史学者ではなく、考古、地理、民族、哲学、宗教、神話、伝説、言語、書誌、文学、美術などの諸学に深い知識を持っていて、アジアのほとんど全域をその研究対象としていることだ。
そして忘れてはならない業績がモリソン文庫、即ち東洋文庫開設当初の管理と整備拡充、つまり東洋文庫の大コレクションの基礎を築いた人なのである。

冒頭を飾る詩
長安の春」
長安二月 香塵多し、
六(りく)街の車馬 声輪々。
家々(かか)楼上 花の如き人、
千枝万枝 紅艶新たなり。
簾間(れんかん)の笑語自ら問ふ、
「何人(なんぴと)ぞ占め得たる長安の春」と。
長安の春色もと主無し、
古来尽く(ことごと)く属す紅楼の女。
如今(ただいま)奈何(いかん)ともするなし杏園の人、
駿馬軽車 擁し将(も)ちて去る。

次々に種々(くさぐさ)の花木は繚乱を競ふ時に至って帝城の春はたけなわに、かぐわしい花には柳が濱粉(ひんぷん)として雪のやうに舞ふ頃になると、時は穀雨の節に入って春は漸(ようや)く老い、照る日の影も思ひなしか少しづつ輝きを増して空も群青(ぐんじょう)に澄んでくる。橋の袂に柳の糸をなでる薫風が爽やかに吹き渡ると、牡丹の花が満都の春を占断して王者の如くに咲き誇り、城中の士女は家を空(むな)しくしてひたすらに花の跡を追うて暮らす。(省略)ここに長安の春は尽きて詩人は逝(い)く春の歌を唱ひ惜春の賦を作る。

と冒頭より名調子のほまれ高き名文が流れるようにはじまるのである。
この本は何と1967年に初版とし1995年27刷発行と云う30年近く愛読され続けた名著である。
なぜかくも永く愛読さえ続けるかと云うと次のような理由と考えられる。

唐の長安は当時世界各地の文化の集中した所であった。
その長安に関する記述はのこってはいるけれど、そこにいかなる生活が営まれ、いかなる外国文化が流入していたかの研究はまったくなかったのである。
そこに着目した石田博士はこの未開の分野を掘り起こしたのだった。つまり我々が営んでいる日常生活が唐代の長安ではどのようだったかがこの「長安の春」には収められているのである。
そこに千年経った現代の読者の共感をよんでいるのだ。
つまりそこには人間の生活を映しているからにほかならない。
そこに漂う余韻にひたり想像をふくらませることに喜びを見出せるからである。


 九世紀の唐の詩人、李商隠が書いた一節:
甘瓜緑を剖き寒泉出づ、碧歐浮花酌春奨
に魅せられるのは
当時の長安のひとたちが夏の暑い盛りに口にした「甘瓜」なるものがどんなにうまい味のものであったか、それを食べてみたいと思うからである。

 この詩は水盤の上でさいた冷え切った瓜の姿の美しさ、その果実から流れ出る甘汁の感触の素晴らしさを李商隠一流の詩才による絢爛たる詩句のなかに読みとるとき、この瓜はこの詩が書かれた千年以上も経った今になおまざまざと読者の口中に唾液を持ってよみがえらせるのである。
 たかだか一個の「甘瓜」の描写であるが千年を経てもまだ瑞々しく甦る文のなせるわざである。
 言葉が持つ奥行きと深み、普遍の命を持つ文の力をそこにまざまざとみるのである。

 冒頭の詩を読み下した石田博士の文に我々は遠く長安の春の様子を想像し、瓜の詩にはそれがいかなる瑞々しきものなのか食べてみたいとイメージを膨らませるのである。
つまり読者それぞれのイメージを描くことができるのである。
本書を何十回と読んでも飽きないことの理由がそこにある。

 千年の命を経て現代でもなお読み継がれるものにはこうした名文とほまれ高き名著と作者がいることに敬意を表したい。