私は人間が大好きなのでちょっとしたふれあいをとても喜ぶ。
例えば塀の周りの花に水遣りをしていると、通りすがりの見知らぬ人が声をかけてくる。
しばらく花談義をしてじゃあまたと挨拶して見知らぬ人は去っていく。
そんなささやかな会話が温かくて好きだ。
どこに住んでいるのか知らないけれど、通りすがりにいつも挨拶して行くサラリーマン風の人がいる。門をあけるときに出会うので、相手は私がここの家の住人だと知ってのこと。ところが私はその人がどこの人か知らない。
近所に住んでいるのだろうということだけは分かる。
塀の周りの花が盛りになるころ、その人は会釈でなく少しだけ会話が長くなる。
主に「パンジーが綺麗ですね」とか「蝋梅の香りがいいですね」とか。花にまつわることが多い。
ある日いつもの散歩コースを変えてとおりの突き当たりまで行ってみることにした。
そのあたりは牧場に近く、雑草がおいしげり、ひときわひなびた風景がひろがっている地域である。
気がつくと見たことのある風貌の人が前を歩いていくではないか。あの人だった。
背広姿でなくラフなシャツに渋い茶色のズボンをはいていた。
その人は突き当たりにある一軒の家に入っていった。
通りから家まで門らしきものもなく、すぐ玄関という佇まいだった。
しかし玄関の前にたくさんの鉢が並んでいてそこには丹精した草花が植わっていた。おもに山野草が多く、みたことがないような野草が植わっていた。その中の一鉢に目が吸い寄せられた。それは白サギが舞うような姿をしていた。「サギ草」だ!
いつも会釈して我が家の前を通っていく見知らぬその人のほんの一端を垣間見たような気がした。地味ではあるけれど美しい山野草をめでるその人はどんなことを想って過ごしているのだろうか?
などとふと考えながらその家を後にしたのだった。
塀の周りに花を植えていなければ、水やりをすることもなければ、きっと会釈も、ささやかな会話も交わすことがなかったであろうその人と私。
通りすがりに一輪の花にものを想う、人と人。
草花は何もものを言わないけれど、人間に何かを語らせるのだろうか。
花が咲き乱れる春がやってきた。
春宵一刻値千金、花に清香月に影